でもものすごい勇気が必要だったからここに書いてしまいます。
もう40年も昔から、私は天体おたくであり、無類の文学少女でした。しかしなぜか、夜な夜な抜け出す娘に、母親は、私の知らないところで、不良の烙印を押していたのでした。
大量の本を買い漁り、小遣いはすべて活字に使い果たしてしまいます。服代として、渡されたお金は詩集に変わり、私としては充実した時を過ごしていたのに。
母親はいつも厳しい顔で接してくれました。
まさか、天体観測をしているってのは口実だと思ったようです。夜遊びをしているんだと。おっと、横道に外れてしまいました。
高校生の時に、素晴らしい古典の先生がいました。漢文も、古典も、先生の授業は素晴らしくて、頭の中にすべて収まってくれます。私は先生にお礼の意味を込めてファンレターを書きました。
当然無視されると思いきや、返信を頂きました。よほど嬉しかったのか、純粋な私は、アルバムに収納。今も手元にあります。
先生は詩人でもあります。
私は、褒めてもらいたい一心で、小説を書き始めました。後から知ったのは、先生はさる文学賞の撰者もされていました。
一度、大きな賞を狙ったときに、先生に下読みをお願いしたことがありました。とても、褒めて頂いたのですが、小説のモデルとなった女性から、人物が特定されるから、嫌だとクレームが入ります。提出日はギリギリ。急いで人物が特定できないように、すべて直してしまいました。
原稿を見た先生は、なぜそうなったのか、軽く経緯聞き「もったいないことをしたね」と、ボソっと言いました。
案の定、落選です。
あまりに悲しくて、それっきりひっそり、書いていました。昨日、医師から『いつウィルス感染しても、おかしくないし、重症化したら最後かも』と、言われましたが、まあ、それは東京にいたら、あたり前のこと。
そして、私が小説を書くきっかけを思いだし、Amazonから先生に、2冊の本を送りました。山姥さんに(はてなブログで知り合ったブロガーです)褒めて頂いた、初めの2冊です。
送ったのはいいけど、住所は変わってないかしら、20年も連絡していないし、わたしの名前は知ってるかしら? 電話しちゃおう。
『突然すみません』
『おお君か!』
わかっていてくれた。『まだ本を書いてるの? 偉い、偉い、よく頑張ったね』
先生は85歳になられるのに、県の芸術祭賞の、詩の撰者もされているし、名前だけで検索できちゃいます。『よく、ここがわかったね、俺、今はなにもしてないよ』って、私も糞勇気が湧いたものです。
『最後かなあ、もう書けなくなりそうだから、送りました。良かったら読んでください』
『感想なんかかけないよ』
『いえいえ、すててしまってもいいのです』
『なんてことを、必ずよむよ、私も歳を取った、読むだけだよ、必ず読むよ』
それを聞いて、私は軽く泣きそうになったが、先生と同時に笑いとばした。
先生に褒めてもらいたい一心で40年もかかった。大それた夢を持ってしまいました。
『40年も無駄にしちゃった』
『俺は60年だよ』
また2人で笑った。
ランチだよー❤️
一学年に生徒が500人いる高校だった。教師とはありがたい、私のような底辺をうごめいていた一生徒を覚えていて下さる。ほんとうに、素晴らしい先生だった。
なぜ詩を書くのをやめてしまわれたのか。素晴らしい詩人だったのに。
『その賞なら、40年くらい昔俺貰ったよ』
最後に言ったことを聴き流してしまいました。
先生小説書いたの?
探します。是非読みたい。
また、やりたいことができました。