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富士山本宮浅間大社と富士山本宮浅間大社

 

富士山本宮浅間大社

静岡県富士宮市

駿河国一宮 貨幣大社 現在は神社本庁別表神社

全国1300社の浅間神社の本社

神体は富士山です。祭神は木花咲耶姫です。

西暦806年創建。とされていますが、「富士本宮浅間社記」によれば、第7代孝霊天皇の御代に富士山が大噴火をしたため、周辺住民は離散し、荒れ果てた状態が長期に及んだとあります。第11代垂仁天皇はこれを憂い、その3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められました。これが浅間大社の起源となります。

木花之佐久夜毘売命は、大山祇神の御息女で、天孫瓊々杵尊の皇后です。ご懐妊の際、貞節を疑われたことから証を立てるため、戸の無い産屋を建て、周りに火を放ち御出産された古事は有名ですね。

 

 

【北口本宮浅間神社

富士山を御身体としています。8合目から山頂までが、浅間大社の敷地であり、富士宮浅間大社を中心に、山梨、静岡に点在しています。木花咲耶姫は火の神、水徳の神様です。

北口本宮浅間神社の歴史は古く、1900年以上を遡ります。西暦110年、景行天皇40年に日本武尊が東征した際に、足柄坂本から甲斐酒折に向かう途中で、大塚の丘から見る富士山が美しく、霊験あらたかだとし浅間大神日本武尊をお祀りしました。

延暦7年(788)、大塚丘の北方に社殿を建立しました。これが現在社殿のある地で、ここに浅間大神を移し大塚丘には日本武尊をお祀りしました。

 

【富士山浅間大社奥宮】

富士山頂にあります。

静岡県富士宮市に所在する本宮浅間大社の本殿は徳川家康の寄進によって造営されました。同様に富士山山頂部も幕府から認められていました。その後、一時国有化されていた時期がありますが、近年の裁判を経て、2004年に浅間大社に返還されたという経緯があります。

奥宮は、山頂の南側にあります。山頂の北東側にある久須志神社は、この奥宮の末社です。奥宮は元々大日堂でした。仏像が撤去されて神社になった経緯があります。久須志神社も元々は薬師堂でした。

日本一高い場所にある奥宮は、1902年に剛力が資材を運び上げて造られました。

 

【冨士御室浅間神社

富士山の吉田口登山道の二合目地点に本宮(もとみや)があります。富士山で最古の神社は、古くは「御室」「北室」「山室」などと称されました。御室の由来は石柱をめぐらせた中で祭祀が執り行われていたと伝わります。本殿などを設けない、信仰の形式でした。708年に祭場が、720年と807年には雨屋と社殿が造られました。本宮は富士山の噴火や厳しい自然の環境により、何度となく焼失、倒壊、破損をくりかえし、再建されてきました。
16世紀後半には、この地の封建領主となった武田信玄公(1521~1573)による大修理が行われています。富士山における“修験道”の、戦国時代には“武田家三代の祈願所”として、また近世には“富士講”と結びついて発展してきていた。

 

浅間神社

富士本宮浅間大社浅間神社の総本社です。浅間神社は全国に1.300社。祭神は木花咲耶姫です。浅間神とは同一視されています。御神体は富士山。恋愛、子宝の神様です。木花咲耶姫が祭神とされたのは近世に入ってからで、その前は浅間大神とされていました。関東地方を主として多くの神社の境内には富士塚が築かれ、氏子らで富士講が形成されました。

さてさて、私の実家から富士山を仰げます。

お浅間さんと親しまれた神社です。ここ練馬の浅間神社に散歩に出掛けてきました。

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境内の歌碑に「果てもなきこの武蔵野の茅原に富士ばかりこそ山は見えけれ」とあり、一名茅原浅間神社(かやはらせんげんじんじゃ)とも呼ばれました。富士塚は高さ8m、直径30m、天狗や猿の石像があります。地元小竹丸祓講により、天保10年に造られたとあります。撮影している僅かな時間にも、参拝者が何組も訪れていました。

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