【金刀比羅宮】
明治初年に神仏分離をされる前は、金毘羅大権現として親しまれていました。
全国に約600ある金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社の総本宮です。さぬきの金比羅さんとして全国から参拝者が絶えません。
祭神 大物主命 崇徳天皇
御利益
生駒記讃陽綱目の金刀比羅宮の條によれば、延喜式神名帳に名が見える讃岐国官社24社の1とされ讃岐国多度郡の雲気神社が金刀比羅宮という記述あります。
真言宗象頭山松尾寺の堂宇の一つとして神仏習合の金毘羅大権現を祀り、その別当として寺中の金光院が奉斎しました。金毘羅大権現は隆盛し、本堂本尊には十一面観音が祀られ、後発の金光院が全山を支配しました。インドの伽耶山も象頭山と呼ばれ山容が似ていることから象頭山と呼ばれました。
明治初年に神仏分離・廃仏毀釈が実施されて、大物主を主祭神とする神社となり、神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部となりました。
戦国時代長曽我部による讃岐国侵攻で多くの古い記録が焼失、荒廃ののち、金光院院主となっていた宥盛が信仰を広め境内を整備しました。宥盛は死の直前には神体を守るために天狗に身を変えたとの伝説もあり、今は讃岐三天狗の一狗で金剛坊と呼ばれています。1606年自らの像を作って本殿脇に祀り1613年亡くなった後しばらくして観音堂後堂に尊体は法衣長頭襟姿で脇に不動明王と毘沙門天を配し、現在は奥社に祀られています。
江戸時代に船による流通が盛んになると、海運業者や商人によって金毘羅信仰が日本中に広められ、分社が各地に作られました。
お伊勢様同様に金毘羅詣が盛んになりました。
〈金毘羅神社 鳴門市〉
徳島県鳴門市撫養町木津に鎮座。1601年に当時の城主によって創建されました。
明治3年に金毘羅羅大権現の旧称を現在の名に改1874年に郷社となりました。徳島市勢見町にある金刀比羅神社と同市川内町にある金刀比羅神社と合わせて古来より「阿波三金比羅」と呼ばれていました。
讃岐丸亀藩主の京極高和が領地・讃岐の金刀比羅大神を、万治三年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請しました。その後延宝七年(1679)に現在の地虎ノ門に移りました。幣殿の奥の本殿は、昭和五十八年(1983)に復興されたもので、高層オフィスビルの虎ノ門琴平タワーと一体化している現代的な都市型の境内が特徴となっています。
〈金比羅神宮 東京分社〉
水道橋金刀比羅神社と深川のこんぴらさんを合わせ祀り、昭和39年、文京区本郷に遷座。東京ドームシティに隣接しています。舌をちょろりと出した狛犬がいます。
讃岐の大神社が神社本庁からの離脱したことが、話題になっています。離脱を決めた理由は、神社本庁の不動産売買を巡る神社界上層部と業者の癒着疑惑を始め、神社本庁で相次いで発覚する不祥事への嫌悪感だそうです。
神社本庁からの天下り先に神社が乗っ取られたとか、黒い話題もちらほらと聞きますが、神様と勝負しちゃいけませんよね。聞かなかったことにしたいと思います。
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