azamiの趣味 離島生活

きしべのあざみ この頃の趣味

水天宮

 f:id:azamibrog:20210518200446j:image

 

福岡県久留米市

全国の水天宮総本社

祭神 天御中主神安徳天皇高倉平中宮二位の尼

 

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と12世紀の壇ノ浦の戦い崩御した安徳天皇および平家一門を祀ります。

壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使局伊勢が千歳川(現 筑後川)のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのが始まりです。伊勢は剃髪して名を千代と改め、里々に請われて加持祈祷を行いました。尼御前大明神、尼御前神社、尼御前宮などと呼ばれます。肥後国から、中納言平知盛の次男平知時の子右忠が訪れ、その後嗣としました。

 

赤松家を祖とする摂津有馬家は、応仁の乱の引き金となった嘉吉元(1441)年の嘉吉の乱の後に、有馬の郷(現神戸市北区)に落ち延びて隠れ住み、その土地から姓を取って有馬と名乗りました。


 後年、太閤秀吉に見出され、中央に戻されます。その幸運を授けて下さった有間(有馬)神社のご祭神である天御中主大神のご神徳を代々忘れぬよう、有間神社の社紋である三つ巴を有馬家の家紋としました。
 現在でも、当主にのみ三つ巴の紋を付けることが許されております。

 

久留米藩へ入封、水天宮社殿を造営
大名家としての有馬家は、元和6(1620)年に久留米藩(現福岡県久留米市)二十一万石を拝領しました。
 第二代藩主有馬忠頼公は慶安3(1650)年、当時尼御前大明神と尊称されていた水天宮に対して、城下の筑後川に臨む広大な土地を寄進し、社殿を造営しました。

 

慶長年間に久留米市新町に遷り、慶安3年(1650年)、久留米藩第2代藩主有馬忠頼によって現在地に社殿が整えられ遷座しました。 文政元年(1818年)に久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請し、その後明治5年に現在の東京水天宮にご遷座された[1]。 明治元年(1868年)には元神明宮に分霊され相殿に祀られました。

【東京水天宮】

東京都日本橋蛎殻町

 

安産・子授け・ 七五三・初宮・芸能祈願・水難除け

 

文政元年(1818年)9月、9代藩主有馬頼徳が江戸・三田の久留米藩江戸上屋敷に分霊を勧請しました。藩邸内にあったため一般人の参拝が困難でしたが、江戸でも信仰者の多い水天宮への一般参拝の許可を求める伺書を幕府へ提出、幕府のこうした事例は関与しないとの見解を得た上で、同年から毎月5の日に一般開放されました。

有馬家との縁は続いており、2016年現在の宮司有馬頼央は、有馬家の第17代当主です

 

にほんブログ村 その他趣味ブログへ

にほんブログ村