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山岳信仰 日光信仰

山岳信仰 日光信仰

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日光を開いたのは勝道上人で、それより神仏習合の時代が続きます。高い山には神仏が宿るという山岳信仰の聖地として日光の名が知られいきました。男体山は父神で、大己貴命で、千手観音でもあります。女峰山は母神、田心姫命阿弥陀如来です。子神は太郎山で、味耜高彦根命馬頭観音です。神仏習合により多くの寺が習合されたことは、日光の歴史に欠かせない事実で苦難の時代です。

神仏習合は大雑把に行われ、それにより、神社仏閣の正しい史実は失われ、または変更されました。

 

鎌倉時代にはニ荒と日光が併用されていました。日光東照宮が創建されると、ニ荒神社も崇敬されるようになり、1619年に本殿が再建されました。

 


山岳信仰としての日光】


「登拝講社」は男体山の信仰団体で、関東一円に50講あるとされています。真夏に登拝講社拝があり、期間中には最近でも三万人を越す人出だったようです。

輪王寺東照宮二荒山神社の境内は日光山内として、日光の社寺世界遺産に登録されています。

山岳仏教は主に天台宗真言宗山岳仏教は仏教とは異なる独自の宗教で、修験道とも言います。


二荒山神社

祭神 二荒山大神田心姫命味耜高彦根命

神体 日光三山

 


拝殿の左側に山霊宮があります。山霊宮とは、男体山を中心に日光連山八峰に篤い信仰を捧げた、功績の優れ徳行のあった人々の御霊をお祀りしたお宮です。

 


日光二荒山神社中宮祠〉

奥宮創建後の2年後(784年)に「中禅寺」とともに創建された古社名刹です。もともとは中禅寺と神仏習合していましたが、明治時代の神仏分離令により独立しています。

 


日光修験


日光修験は、明治期の断絶を乗り越えて現在も受け継がれています。日光三山(男体山、女峰山、太郎山)を神体とする信仰形態は鎌倉期に確立、日光の山々を巡る四季の修行路が設定されました。また、三峰五禅頂(さんぶごぜんじょう)」も設定されています。勝道上人の足跡をたどって修行精神を学ぼうとする「冬峰」春の華供峰山中の神仏を巡拝する秋の「五禅頂」、そして最も過酷な「夏峰」があります。

 日光修験は、豊臣秀吉の時代に衰退。江戸期に今の二社一寺の年中行事に組み込まれ再興しています。修行性は重視されなくなり、1868年の神仏分離令、72年の修験禁止令もあって、ついに途絶えてしまいます。復活に尽力したのは日光山興雲律院の中川光熹住職、同院は1964年以来、簡略版の華供峰を毎年行ってきました。85年から鹿沼市の山王院も峰行を再現、一般参加も毎年受け入れており、最近では、宇都宮市多気不動尊の青年僧らが五禅頂を実践しています。

 

山岳信仰について勉強過程】

修験道とは、修行する人の信仰なのか、修行する山道なのか、今ひとつわかりません。それだけ無知な私がコツコツとなにかを知ろうとしている過程です。山岳信仰は日本に根付いて、これまで続いています。山伏もいます。しかしまったく縁遠いところで暮らしていたので、何も知らない。知ったからって何をしたいわけでもない。

日本の神様について、知らないより、知っておいたらなにか開けるような気がするの。

参拝のしかたも変わって来たし、ただ散歩するよりもずっと楽しい。神様の家系図がなんとなく見えてきました。ついでに、山に棲む神様も知りたいと思いついたけど、きっと知りたい事とはずれています。もう少しわかれば、知りたいことを理解できるように思います。

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