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大山信仰 神奈川県

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大山山頂からの風景


大山阿夫利神社

神奈川県伊勢原市

祭神 大山祇大神、大雷神

高オカミノカミ

 

大山は縄文土器の時代から山岳信仰の対象とされていたようです。祭祀の道具などが発掘されています。あめふり山とも呼ばれて、雨乞いが行われていました。

 


創建は崇神天皇の御代とあります。

天平勝宝4年に大山寺が神宮寺として建立され不動明王が祀られました。以後は神仏習合の時代が続きます。江戸時代に大山講が組織され、修験道に混じり庶民も参拝するようになりました。大山祇大神は、富士山に鎮まるとされる木花咲耶姫の父であるため、大山と富士山の「両詣り」も盛んとなりました。

 


江戸時代に、「石尊大権現・大山寺」の名称は使われなくなり、旧来の「阿夫利神社」に再び改称された。その後、大山寺はかつての女坂途中に場所を移して再建されました。

 


山岳信仰としての大山】

 


一度は火災消失の後、884年に安然が再興し、天台宗系の修験の場として栄えていきました。戦国時代、大山における修験道天台宗・本山派玉瀧坊の傘下とされ、天正18年に徳川家康に与する軍勢が小田原を攻略した際には、大山の修験道の勢力は北条氏に与して、激しい戦いになりました。

 


江戸時代に入り、徳川家康は、大山の修験道の勢力を全て下山させました。山内の居住は清僧(学僧)のみで25口に限定して許可することとし、さらに大山寺を天台宗から古義真言宗へと改宗させ、初代学頭に成事智院の住持であった実雄法師(古義真言宗)を任命し、定住させました。そのうえで、慶長13年には御朱印地等を寄進するなどし、経済的な援助関係を強めます。特に徳川家光は、大山寺の「寛永の大修理」の際に、造営費として1万両を与え、落成の祝賀等に春日局を代参として二度参詣させています。

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下山させられた修験道の信者たちは、大山の麓に居住し、御師として、布教活動を行うとともに、宿坊や土産物屋の経営をするなどし、その結果、大山門前町ができます。

御師たちの活動により、江戸の庶民にとっては、大山詣と江ノ島詣のセットが娯楽の一つとなったり、大山講の総講数は15700であり、総檀家数は約70万軒との記載されています。

 


講というのは、成り立ちによっても意味合いが違うのですね。ちょっとした慰安旅行のついでにお詣りをするのが、諸民の間で流行っていたようです。

 


明治維新以後、明治元年神仏分離令と、それに伴う廃仏毀釈の運動により、大山寺は取り壊しとなり、その跡に阿夫利神社の下社が建立さ、明治18年大山寺は現在地(来迎院の跡地)に明王院として再建されました。大正4年観音寺と合併し、再び「大山寺」を称することとなりました。

 

大山阿夫利神社は前シリーズの神社紹介ページにもあります。

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