金剛山信仰
金剛山は奈良と大阪の県境にまたがる金剛山地の主峰、葛城岳、湧出岳、大日岳の3峰から成ります。金剛山の名前は「転法輪寺」の山号金剛山から来ていると言う説が一般的です。国見城跡の広場が山頂とされていますが、実際の最高地点は葛城神社の本殿の裏にあります。ここは神域で立ち入り禁止されていますから、一般には国見城跡の広場が山頂になります。
葛城山は、山岳修験道を開いた役小角が金剛山山頂に、金剛山宝輪寺を建てた後から金剛山と呼ばれるようになったとされています。
金剛山を朝日獄、高尾張山と呼ばれた時期もありましたが、葛城山は804年に中国から帰った僧空海が行基の威徳をしのび、多くの寺院を開いた戒那千坊から戒那山と呼ばれていました。
金剛は法起菩薩が住むという信仰の山で、役小角が修行した葛城山は金剛山のことでした。
また、金剛山は明治までは女人禁制の山でした。
金剛山山頂の真言宗醍醐派大本山金剛山宝輪寺は葛城二十八宿経塚の最高峰に鎮座する「妙経如来神力品」を有する霊峰です。金剛山寺にお参りする事を『こんごせ参り』と云われる様になりました。奈良時代から鎌倉時代に到る間に修験道は確固たる地位を築き上げ、当寺も近畿の修験道七高山の一つに数えられ、全国の山伏行者達の修行場として大いに栄えました。
現在は一般の方も四季折々の山の景色を楽しみに登ります。
金剛山ロープウェイで山頂まで登れます。山頂には宿や売店、整備された林道があります。
【司講】
そもそも『講』とは、各々住んでいる地域の住民達が集り、大峰山登拝やお伊勢さん参りなど、お参りを目的としながらも、皆で一緒に親睦を兼ねて巡礼するという集団の事。
また、現在では山伏修験者が中心に活動しているので、色々なお寺の行事に参加される事が多いです。
宝輪寺では、葛城二十八宿の行場めぐり、当山十三仏参りで登拝し、山頂より紀見峠までの、東・西役行者様千日参拝修行が行われています。
【役行者について】
役行者(役小角)は、すでに奈良時代から傑出した山伏(修験者)の代表的存在として知られていました。山伏とは、まさに山野に伏して修行し、呪術的験力を獲得した者のことで、中世以降になると役行者は修験道の開祖と仰がれるようになりました。
役行者1100年の御遠忌を迎えた寛政8(1799)年には「神変大菩薩」の諡号を授与され、現在に至るまで篤く尊崇されてきました。
役行者は、舒明天皇6(634)年に現在の奈良県御所市茅原の地に生まれました。現在、誕生所に建つ茅原山吉祥草寺には、役行者産湯の井戸も残されています。
役行者は若いときから葛城の山中に分け入り、洞窟にこもって修行を重ね、孔雀明王の呪法を体得し、不思議な験力をもって鬼神を自在に使役したといいます。
ことに『日本霊異記』には、役行者が葛城から大峰山に通いやすくするために葛城山と吉野・金峰山の間に橋を架けさせたとの逸話を伝えています。
中世以降になると、真言密教の金胎両部の曼荼羅を表する「密の峰」である大峰山に対して、葛城山は、役行者が法華経二十八品を埋経したことから「顕の峰」あるいは「法華経の峰」と考えられるようになりました。
【このあたりで】
金剛山と山岳信仰を書いたら、本数冊が出版できるほど、研究者も、修験道を極めた方もいます。
今回は金剛山の入り口、修験道と金剛山の深い関わりと、現在も続く山岳信仰の聖地として、今も賑わっているとお伝えします。