奈良時代に入り、泰澄が開山すると、修験道として体系化されます。10代崇神天皇の御世に遥拝所が創建、祭神は菊理媛尊、伊弉諾命、伊奘冉命です。
ククリ媛とは、あまり聞かない神様です。
日本書紀の五段の一書に少しだけ出てきます。伊奘諾と伊奘冉の言い争いに何事か申し上げて伊奘諾に褒められたとか。白山比咩神と同一神とされています。
【白山修験道の由来】
泰澄が御前峰に登り瞑想をしていると、緑壁池から九頭龍王が出て来て伊奘冊尊の化身、白山明神・妙理大菩薩と名乗りました。
白山修験は熊野に次ぐ勢力まで拡大し、南北朝時代には、熊野三山の入峰が途絶えたためさらに全国に信仰が広まりました。
【曹洞宗との関係】
道元禅師が宋から帰国する前夜に白山権現が碧巌録の写本の助けをしたとたの言伝えから永平寺の
守護神として永平寺の僧侶が白山に参詣しています。
白山比咩神社
白山神社系列は全国に3.000社あると言われています。白山比咩神社は総本社で「しらやまさん」と呼ばれています。