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山岳信仰 七面山 

 

 

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七面山は富士山と南アルプスの間に位置し、日帰り登山も可能な山です。標高1989mで、日本二百名山のひとつです。

 


法華経の守護を祀る霊峰です。山頂近くの敬慎院に宿泊し、御来光を拝みます。山頂の東北部に久遠寺の寺領があり、早川町に囲まれた身延町の飛び地となっています。

身延山久遠寺は日蓮を開祖とし、また七面山は、日蓮の高弟日朗が開いた山で、法華経を守護する七面大明神を祀ります。

 


敬慎院宿坊は、地元身延の32の坊の住職がで三年間僧侶の代表を務めています。これが『別当』です。七面山は「解決がつく山」といわれます。悩みがあったり、人生の岐路に立っている方は、辛い道のりを登っているうちに自問自答を繰り返し、そうしているうちに迷いがなくなり、山頂に着く頃には、決心がついて頭がスッキリすると言われています。

奥の院には、七面天女の磐座(影嚮石)があり、その周りを回りながら、願い事をします。

 


頂上には一の池、二の池、三の池等、池があり、一の池正面の祠には水晶玉が祀られています。

 


法華経は難解なお経だと言われ、民が理解しやすいように、他のお経を抜粋していました。皆成仏を説いた経ですがそうしたことから、女性や畜生は成仏できないという教えが広まっていきました。日蓮聖人は、難解な法華経をわかりやすく人々に広め、『南無妙法蓮華経を唱え法華経に帰依すれば、誰でも仏さまの徳をそっくり譲り受けることができる』と説きました。

 


七面山は御来光への信仰、お池の龍神信仰、山道を登詣する苦行――。さらに、七面大明神に現世の利益を願う祈り、夕勤で因縁の消滅と供養を願う祈りなど、たくさんの信仰の姿があります。

 


【山岳密教と七面山】

 


身延山が日蓮宗の信仰の山となり、700年が経過しました。それ以前は真言密教の修験の山でした。本堂裏の一の池は当時の修験が見つけたと言われています。池の真東には富士山がそびえています。富士山は修験では大日如来を意味し、ここ七面山では春と秋の彼岸の中日に、富士山の頂上から太陽が昇るのが見え、その光は敬慎院の境内を通って『一の池』を通過し、真西にある出雲大社まで伸びていきます。

 


この池には竜神様、七面大明神が住むと言われています。富士山が真東にあるということは、太陽神と一体になる富士山が見られる特別な場所だということです。

 


身延鑑によると、806年空海帰朝して真言宗を開創してより日蓮聖人身延入山まで412年間に、天台、真言の新興宗教は教勢を大いに拡張したとあり、寺平、塔林に真言宗長福寺(ちゃんぷくじ)があり、真言当山派の修験の道場として、ここがこの地区における行者の拠点であったろうと推察されています。

 


寺平の真言宗長福寺を拠点として、身延山、或は七面山等の山々を跋渉し、修行したのではないかとされ、そして日蓮聖人が文永11年(1274)身延入山後、七面山勧請の弁才天が、聖人説法の座に妙齢の女人に身を変えて聴聞し、法華経の功力によって、末法法華経行者守護神として、また身延山守護の善神として自ら誓願し、七面山に鎮座したのではなかろうかと言っています。

 


 永仁5年(1292)実長は、鎌倉から身延に参詣した日朗上人と七面山に登り、山上に新たに祠を建て、末法総鎮守七面大明神と号しました。

 


七面明神が史実に現れたのは、身延14世日鏡、15世日叙、16世日整のころ発生し、この3代560年の間に具体的信仰形態が整ったものであろうといわれています。また七面山の御神体が蛇形であるということから、法華経提婆品の「八才の竜女」が本体であると推定する向もありますが、草山元政の「七面大明神縁起」には「鬼子母尊天の女なり」と記されています。

 

 

  1. [https://azamibrog.hateblo.jp/entry/2021/07/14/山岳信仰_富士山]

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