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山岳信仰 英彦山神宮

 

 

 

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(ひこさんじんぐう)

福岡県田川郡添田町

 

英彦山は北岳・中岳・南岳で構成されています。主峰は南岳で1199mです。中岳山頂より、上津宮、中津宮、下津宮が山腹にかけてあります。英彦山全域に摂津末社が点在、北岳、中岳、南岳は神格化され、それぞれを1柱としています。

 

主祭神 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命

(まさかつあかつかちはやひあめのおしみみのみこと)

祭神 伊弉諾、伊奘冉

なんて長いややこしい名前でしょう。古事記も神様の名前を読むのが一苦労だったのを思い出しました。 

 

各神は法体権現・俗体権現・女体権現と称され、合わせて「彦山三所権現」と総称されました。英彦山は古代から、神体山として信仰の対象になっていました。

 

伝承によると、継体天皇の時代531年、北魏の僧が英彦山で修行中に日田の猟師藤原恒雄に会い、殺生の罪を説いたと言います。それでも恒雄は猟を辞めず、1頭の白鹿を射ました。その時、3羽の鷹があらわれ、鹿に檜の葉を浸した水を与えました。鹿は生き返り、それを見た恒雄は神の化身と悟りました。僧の弟子となり、寺を建立したとされています。

 

また祭神、忍骨命が降臨した地とされて、山頂に祠が建てられたとされています。

社伝によると、もとは、日子山だったとされ、天照大御神の御子の天忍穂耳尊を祀りました。山中で飛来した鷹の落とした羽に「日子を彦と改めよ」と記されているのを見て嵯峨天皇に上申し詔によって「日子山」を「彦山」に改めたという伝説であって、古い記録もみな「彦山」と書いていあるのです。さらに後、江戸時代に「英彦山」と改めました。

 

もともとは神社ではなく、修験道の寺院でした。1696年に、天台修験の別格本山となり、1729年には、霊元法皇より、霊山として英の字が授けられ、英彦山と称するようになったとされています。1975年に現在の英彦山神宮に改称しました。

 

特別な由緒をもつ神社だけに許される名称「神宮」を名前に持つ福岡県で唯一の神社、英彦山神宮。神宮のある英彦山は、山にこもり厳しい修行を行う山岳信仰(修験道)の霊山として名高い山です。農業や鉱山の安全、勝運の神様として昔から多くの参拝客が訪れます。

 

古くから大和の大峰山、出羽の羽黒山と並ぶ山岳信仰の霊山として知られ、修験場として盛時には山麓に3800余の坊舎が建ち並んいました。明治以降は衰退し、坊舎跡の多くは水田になりました。

 

 

 

 

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