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山岳信仰 鳥海山

 

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鳥海山は山形県と秋田県に跨がる標高2,236mの活火山です。山頂は山形県側にあるが、秋田県側に山頂があると主張する秋田県民で山頂争いが起こります。出羽富士とも呼ばれ、山形県では庄内富士とも呼ばれています。古くからの名は鳥見山です。

修験道は役小角(役行者とも)が創始したと言われています。役小角は静寂清浄な場所、更に雄大な山には神が存在すると認め、そこを修行の地としました。

 

修験道は二派あります。

本山派 : 天台宗系 (本山は聖護院)、熊野派、順峯 当山派 : 真言宗系 (本山は醍醐三宝院)、吉野派、逆峯と伝わりますが、鳥海山の場合、『出羽三山と修験道』では、地理的な理由から、ある程度早く開けた登山口を表口、遅く開けた登山口を裏口と呼び、表口からの入峯を順峯、裏口からの入峯を逆峯とした例が出羽三山にも見られることから、鳥海山でも同様に順峯と逆峯が称されたのではないかと言われています。春の修行を順峯、秋の修行を逆峯と呼ぶ説もあります。

 

古くから鳥海山は神の山ですが、神仏習合時代には、薬師如来(薬師瑠璃光如来)が日本の鳥海山に鎮座する大物忌神となり、鳥海山大権現が現れたとされています。鳥海山は神の御座す修行の場となり、矢島・小滝・吹浦・蕨岡などの主要登山口に修験者が集うようになりました。『出羽三山と修験道 戸川安章著作集Ⅰ』によると、本地は薬師瑠璃光如来、垂迹は豊玉姫命だとされていました。

 

『鳥海山史』では、修験道法度の制定に対応し、羽黒山では独立を保つため一山全てを天台宗としたに対し、鳥海山では、各登山口が系統を異にして発達した関係で、いまだ本山派と当山派に分かれたままだったと述べています。さらに同書では、江戸時代に修験者同士の争いが矢島藩と庄内藩を巻き込んだ「嶺境論争」を例に挙げています。「嶺境論争」は単なる山争いの問題ではなく、各々その系統や成立を異にした歴史的立場を主張したため、争いを激化させたとしています。

明治時代には、修験禁止令が出されたため、鳥海山から修験者の姿は消え、現在は全くみられなくなりました。

 

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