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山岳信仰 岩手早池峰山

 

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このブログでも、たびたび紹介して来ましたが、山岳信仰と言うと、山伏等の山岳修験道を思い浮かべるかもしれません。

修験道は山岳信仰と仏教が習合した形であり、古くから存在しました。山岳信仰とは別の信仰になります。


ところで、岩手県における「山岳信仰」といえば、第一番に「早池峰山」が挙げられます。


早池峰山は、岩手県にある標高1917mの山です。北上山地の最高峰で日本百名山、新日本百名山、花の百名山、新・花の百名山及び一等三角点百名山に選定されています。六角牛山、石上山と共に「遠野三山」と呼ばれ、山頂は宮古市、遠野市、花巻市の3つの市の境界となっています。


早池峰山を信仰する人達は、当初は近郊の村々の人達だけですが、明治以降の登山者名簿には、関東地方から来た人の記録も残っています。当時のお参りは、講と呼ばれる集団でお参りすることでした。代表者が、数十名単位の代参をします。富士講や、伊勢講がブームになりましたが、早池峰講も盛んでした。


早池峰山は、明治までは「女人禁制」の山でした。早池峰山は、山の神、水の神、海上守護の神として信仰されてきました。早池峰山の神が女神なので、女人禁制だったと語られています。


【 遠野物語 第2話 より】


大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、今の来内三村の伊豆権現の社ある処に宿りし、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚めて窃に之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早池峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各三の山に住し今もこれを領したまふ故に、遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山には遊ばずと云へり。

また、早池峰山の女神が、力を授けてくれるように祈願した力士に対して、大力を授ける話があります。また、始めて早池峰に山路をつけたるは、附馬牛村の何某といふ猟師にて、時は遠野の南部家入部の後のことなりと、柳田国男の『遠野物語』(第二八話)にも記されています。


【早池峰神社】

中世から近世には神仏習合の山岳信仰の地として栄えましたが、明治元年の神仏分離、さらに明治5年、修験禁止令で妙泉寺は廃寺となり、早池峰神社となって存続しています。

遠野市附馬牛町に鎮座する早池峰神社が里宮で、山頂には奥宮があります。


この早池峰山妙泉寺(現・早池峰神社)から薬師岳を越えて早池峰山へと登拝する道が、早池峰古参道です。現在ではほとんど歩かれていないため、登山には不向きです。


早池峰山への登山口は、東西南北にありますが、山麓にはそれぞれに早池峰神社が祀られています。つまり、早池峰神社は数カ所あります。南の登山口(遠野市附馬牛)には持福院妙泉寺だった早池峰神社、東の登山口(宮古市江繋)には、新山堂だった早池峰神社、西の登山口(花巻市大迫町)には、池上院妙泉寺だった早池峰神社、北の登山口(宮古市門馬)には、新山大権現だった早池峰神社が鎮座しています。


早池峰信仰のルーツに関しては、江戸時代に大迫町(西山麓)の池上院妙泉寺と、遠野(南山麓)の持福院妙泉寺で長い間に渡って争いが起こっていましたが、近世、南部氏の治世になって大迫の権威が上昇したとされています。


【神楽】


山伏たちによって舞われた神楽は、修験道が廃止された後も、山伏の子孫や里人により伝承されています。八ツ口神楽,大ヶ生山伏神楽,玉山神楽,藪川神楽,日戸神楽,松内神楽が山伏神楽です。同じ山伏神楽でも,花巻市の早池峰神楽などとは違った特色を持っています

 

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