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山岳信仰 宮城県田束山と短編集

 

 

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たつがねさん


宮城県本吉郡南三陸町


古くから山岳信仰の霊山として人々の信仰を集め、山頂にある11基の経塚は、かの奥州藤原氏との深いゆかりを今日に伝える貴重な遺構です。


登山道は”行者の道”と呼ばれ、かつて山岳信仰が盛んだった時代に多くの僧が修行の一つとして上ったルートを追体験することができます。


【田束山の寺】


平泉の藤原秀衡の信仰により、田束山山頂に羽黒山清水寺、中腹に田束寂光寺、北嶺に幌羽山金峰寺など、七堂伽藍、七十余房を造営しました。 


藤原滅亡後は清水寺が歌津の明立坊、寂光院が清水浜の正音坊、金峯寺が小泉の不動院のいずれも羽黒派修験が別当になって入峰修業が行われました。その後の奥州合戦において、奥州藤原氏に由来する事で、寺は荒廃します。


【即身仏】


満海上人は弥勒菩薩に帰依し即身仏になるため入山しました。江戸時代初期のこととも思われます。満海は天正年間(1573~91)気仙沼の松崎生まれ。碑の前に立つ案内には「田束山中で修業し、其の法力衆徒に優れ験徳遠近の里俗に高名たり」とあります。


そして「仏法護持のため、自ら即身仏(ミイラ仏)になる決意し壇を造り穴をうがち千日の苦行に耐え入定を果たしました。また、キリシタンの焼き討ちにあったため、切支丹退散を念じて入定したのだとも伝えられています。古くからの集落である樋の口から田束山に登拝する樋の口御坂の東の沢を「滝の沢」と呼びが、その沢沿いが「行者の道」として現在整備されています。


標高512mで、頂上からは南三陸や金華山、栗駒山、蔵王連峰が見渡せる眺望が美しいです。古くから山岳信仰の霊山として、人々の信仰を集めてきた山ですが、焼失により現在は礎石や石仏を残すのみとなっています。山頂に11基の経塚があります。

 

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