azamiの趣味 離島生活

きしべのあざみ この頃の趣味

山岳信仰 富山県 立山と短編集

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立山は富士山、白山と並ぶ日本三霊山の一つ。

弥陀ヶ原や称名滝、地獄谷、餓鬼の田など仏教由来の名が多いのもここが信仰の山だからです。


越中国守の息子・佐伯有頼が立山開山の祖とされています。

大宝元年(701年)のある日、有頼が逃げた白鷹を追って山に入っていくと突然、熊に遭遇。矢を射ると、熊は血を流して洞窟に入っていきました。洞窟の中には胸に矢が刺さった阿弥陀如来が佇み「立山を開くため、お前を導いた」と告げたそうです。有頼は己の愚かさを恥じ、僧侶となって立山開山に尽力しました。


立山山麓には、信仰登山の拠点がありました。芦峅寺集落には最盛期33の宿坊がありました。日本全国に勧進が行われ、大奥にまて届いていました。江戸時代までは女人禁制のため布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)が芦峅寺で行われていました。1996年に一度は途絶えた行事は復活しました。


立山には山上他界の信仰があり、立山の山域の各所は、立山を巡拝することで死後の世界を擬似体験し、形式上「他界」に入り「死」から戻ってくるという修行を積むことができ、超常的な力(法力)を身に付けることができると考えられるようになりました。


【大岩山日石寺】

今から1300年ほど前の725年に行基によって創建されたという「大岩山日石寺(おおいわさんにっせきじ)」は、山岳信仰や修験道と結びついた密教の寺として隆盛しました。戦国時代に上杉勢の兵火に遭いましたが、江戸時代加賀前田家の祈願所となって再興し、現代も多くの方々が訪れるスポットとなっています。日石寺のシンボルの一つでもある三重塔は、江戸時代末期に建造されましたが、未完成のままとなっており、日本唯一壁のない仏塔です。


大岩のお不動さん”として親しまれている「日石寺」の磨崖仏(まがいぶつ)は、巨岩に半肉彫りされた不動明王像を中心に5躯あり、国の史跡と重要文化財の二重指定を受けています。本尊不動明王は高さ約3.5mの威容を誇り、その大きさ・保存状態のよさから全国屈指の磨崖仏と評価されています。


【眼目山立山寺】

富山県中新川郡上市町眼目

建徳元年(1370)に曹洞宗大本山総持寺第ニ祖峨山禅師の高弟宗門五派の随一である大徹宗令禅師により創建。曹洞宗の名刹です。禅宗の古刹です。立山寺には山岳信仰にまつわる神秘的な伝説が残っており、“哲学の道”を散策すると、その伝説がいまなお生きていることを感じることができます。開創は山神と竜神の神霊による開基の寺であり立山権現と北海大龍女を開基としています。立山権現がきこりの姿となって褝師を導き、寺院の建立をすすめたと伝えられています。


【あざみの短編集】

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耳塚

私の実家は、東海道の旧道沿いにある。今では路地の行き止まりに見えるが、行き止まりの奥に続く道がある。江戸時代から明治時代までは、旅人の往来が多い道だったに違いない。
 
家の裏は畑になっている。付近の数軒が、ここで細々と野菜を作っている。我が家も年老いた母親が、趣味のようにさまざまな野菜を育てている。
私は久しぶりに母の畑の草取りをしていた。たまの里帰り、草取りをしてあげようと、朝から汗を流していた。

荒地に、トマトやナスが実をつけている状態、草を取るとようやく畑らしくなった。眺めていると、畑の隅に大きな石が半分埋もれている。子どもの頭ほどの楕円形の石だ。


先祖の墓石だろうと、掘り起こして、邪魔にならないところまで転がした。10kgは越えている。いつも持つ米袋より重たい。


家の裏には幾つも墓石がある。誰の墓なのかは、見当もつかない。墓地は別の寺にあり、少なくとも、三代前のご先祖様が埋まっている。


おそらく、それ以前の墓か使用人の墓だと考えた。バケツに水を汲み石を洗い流した。

『耳塚』と、手彫りの文字が刻まれていた。

母に聞いても、覚えはないと言う。父親なら知っていたかもね。と、ぽつりと言った。


昼過ぎに、母の手料理をご馳走になり、東京の家に帰ってきた。

その晩、夢枕に着物姿の女が現れた。顔を伏せて、ただ泣くばかり、いつまでもか細いすすり泣きが耳に残っていた。


目が覚めると、すぐに掘り起こした墓石が浮かんだが、重たい石だったし、今でも節々が痛む。そんなせいで寝苦しくて怖い夢を見たのだと、自分の不安な気持ちを鎮めた。


昼過ぎに母親から『何か変わっことはないか』と、電話があった。母親も夢枕にすすり泣く女が立ったと話した。すでに隣り町から嫁いだ母親しか、この家の親族は残っていない。


皆んな鬼籍に入ってしまった。

『どうしよう』

母親は寺に相談した。住職がやって来て経を上げてもらったと連絡があった。

霊障はないけれど、たまにそう月に一度くらい夢を見るようになった。


赤ん坊の泣き声だったり、複数の女たちの泣く姿だったりする。

母はそのたびに私と、寺に連絡していた。

『なんだか、気になるね』

あれから1年が過ぎたころ、住職が訪ねてきた。


『稚児落とし』に関係あるかも知れないと言う。

戦国時代に戦があり、退路を断たれた将軍が、わずかな侍女を連れて山に逃れた。追っ手が迫る中、連れている稚児が泣くので、谷に落としたと言う。女たちも自害した。


地名として、『稚児落とし』は残っている。住職はあれからいろいろ調べてくれていた。


「この家から見えるあの山の尾根道だ。墓碑は掘り起こして洗ってやった、経もあげたのだから、まずは問題ない。この家が直接関わったわけじゃない。気の毒に思い、墓碑を建てただけ、気にしなくてよろしい」と、諭されたと言う。


だけど、夜中にすすり泣く声は恐ろしい。気の毒な魂だと言われても、戦国時代のことだからと諭されても、逃れる方法はないのだろうか。

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