昨日も編みもの、でも余り毛糸の糸では、配色がよくなかった。やはりお金はかかるのね。
奇妙な配色のミニマフラー。
これは失敗作品です。毛糸を調達しなければ。1日かかって作ったかぎ針編みです。
でも、カギ針も棒針も、昔とった杵柄で、編み始めると、次第に記憶がよみがえり、模様編みもまだまだ出来ることが判明しました。
あと、10年は楽しく過ごせそうです。
今日はエプロンを作る予定です。
毎日、自分で忙しくするのは一種の病気かも知れません。昨夜は近所の仲良くしているいつもの老夫婦、おばあちゃんがやって来て、おじいちゃんがまだ帰宅していないと焦ってました。 2時に出て行って、すでに5時です。すぐに、110番通報をしたら、間も無く交番で確保したとのこと、迎えに来いと言う。しかし居るのは高齢のおばあちゃん『無理なので、送って欲しい』と言うと、出来ないらしい。何故近所に住んでいる私がバスと電車に乗って迎えに行かねばならぬのか?
所詮はお役所しごと、個人情報のルールはどうした?と、ご都合に合わせてルールを変える。老人は歩き回り疲れているだろう。早く迎えに行こうと、バスと電車を乗り継いで、交番に行った。ちんまり片隅に座っている爺様を見て怒りが湧いた。
90歳過ぎた年寄りだ、寒さに震えている、せめて、ホカロンひとつ、毛布一枚渡す気配りは出来ないものか? ついつい、こちらも若いおまわりさんに説教をたれてしまいました。そして、爺様の手を引いて、タクシーに乗ろうと言うと、電車に乗れると言う。無事に帰宅しました。
夜、交番から連絡があったと、息子さんから電話が入った。何故私に知らせないのかと言っている。なんだなんだ、君は勤務先にいて、おばあちゃんからの電話を邪険に切ったではないか。
だから、ばあちゃんは考えて家に助けを求めたのだ。あんたが居るからうっかり手助けもできない。交番はきっと、叱られた言い訳を息子さんに説明したのだろう。
まったく世の中は複雑怪奇で、昔の落語に出てくるような、八ちゃん長屋のようには行かない。どうしたらいいのかよく考えて行動しないと、手助けしたことが迷惑になりかねない。しかし、高齢化社会では、日常にこうしたことは多々起こる。みんな上手くかわして居るが、私は性分でほって置けないのです。
でも、実際は私も半病人なのよね。お節介はやめようといつも反省します。しかし、その場になると、明らかに手助けか必要なのです。
夫は今日の行動は、正解だと言ってくれた。
私は、脳梗塞を起こしたのは三年前で、コロナウィルスが日本に上陸した頃です。それから2か月後に再発、一年後には3回目、いずれも軽症ですが、それなりに軽い後遺症があります。一番は背骨が痛むこと、鎮痛剤が欠かせないのです。
脳梗塞とは関係ないらしい、何回か階段落ちをしたり、尻餅をついて、2か月も寝たきりになったり、それなりに、大変でした。
私には三人の兄がいますが、こちらからは何度か見舞いにも行った。でも、誰も来なかった
。コロナ禍で、見舞いどころではなかったのは分かりますが、せめてメールくらい。何故か、私は知らないうちに縁を切られたらしいので、五島移住は誰を気にすることなく、さらりと行けます。
個人の繋がりは築きにくい世の中になってしまいました。困るのは孤立した人たち。
私はここで、ひとつの人生に区切りがつきます。
人生には何回か転機が訪れますが、その度に引っ越しをして来ました。すでに年齢は64歳、まさか、この先は引越しはしないと思います。
体力的にもうかなりきついのです。多分そうなると思い、一年前から準備して早半年。
老夫婦場は私が引っ越しすることを知り、泣いていました。それがせめてもの救い。長男は、世話にはなりたくないのだろうなあ。
疲れた。疲れるほど、動かない、働かない。
できそうにないです。