azamiの趣味 離島生活

きしべのあざみ この頃の趣味

必要なものと大切なもの 今想うこと

こんにちは、もうちょっとで65歳になります。40歳からここまで、ひとっ飛びでした。引っ越し先に持って行く荷物を整理していますが、必要なものが極端に少ないのです。アルバムも考えた挙げ句一切必要ないと思ってしまう。いい記憶も、悪い記憶も特に残したいと思えないのです。

 

服も、ここしばらくは、気に入って買ったものがないので、愛着が湧きません。お陰で、処分がはかどります。一番捨てられないのが本だと思っていたけど、ずっと手元に置きたい本はわずか10冊だけ。

 

3本の本棚には、古典文学から、現代の文学賞受賞作までぎっしりと詰まっていました。とくに、詩集は大切でした。萩原朔太郎や、谷川俊太郎さん、島崎藤村、室生犀星、上げれば人生の局面で読んできた大切な詩集。しかし、もはや感性も鈍くなってしまったようです。

 

なにも感動を覚えない。つまらない人生って訳でもない。毎日なにかしら、創作活動はしています。なんだろなあ、脳梗塞で倒れた時にも、人生に未練なしって軽く思えた。それは自分でも驚いてしまいました。もっと食い下がってジタバタするものと、思っていた。

 

なにかひどく欠落したのだと思います。書きたいと頭にあった小説も、吐き出すように書いてしまったし、やり残したことは、もはや気力も体力も、手が届かないと悟ってしまった。

私の私物は他人にはまるで価値がないものばかり、なにも持たない引っ越しなんて、普通じゃない。なにか、大切なもの、忘れてしまった大切な人がまだこの世にいるのではないだろうか。なんとももどかしい。

 

そういえば、最近YouTubeで韓国のイキテルさんの食べ歩きを眺めている。友人の大国さんが、先輩のイキテルさんの勧めで日本にやって来て滞在した。今日は韓国に帰る日だった。

 

大国さんは素直な方で、人の良心に触れるような動画でした。失った感情がどんな種類のものだか思い出せそうになったけど、若かりし時代へのノスタルジーみたいなもの? 否そんな生優しいものではなく、忘れてしまわなくては、この先、生きる自信がなくなるようなものかも知れない。忘れてしまおうと考える。

 

大国さんは、10年早く日本に来ていればと、言っていました。10年前から私の人生は変化なし。感情を揺さぶることが起こらない。若い頃に感情が凍るような苦しい時期が確かにあったことが蘇りそうになる。封印しておく。

 

これからの楽しい人生に集中しようと思えば、まだまだできるような気もします。

良くも悪くも通過したのだ。長く暗いトンネルを抜けたらポカーンと空を見上げる私がいた。

 

真っ暗なトンネルの正体は、大切な人々の死が一番大きいような気がします。友人の何人かは早くに亡くなり、好きだった人は誰れだったか、存在さえ忘れてしまった。大切な人の死も、誰のことやら、やれやれ!

 

こんなことってあるのかなあ。

年を重ねるって、ミステリーだ。

住みたくもない東京に40年以上暮らして、離島に行こうと言われたらホイホイついて行く。

それが、不思議なんです。何か私を引き寄せて、留めるものは、ないんだかろうか?

 

まあ無理に止まる理由もないってことですね。

私は人として、大きく欠落している自分に呆れています。

 

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