今日歯、今日はちょっと移住先のこと。
夫の故郷であるから、Iターンになります。まさか帰ることになるとは思わなかった。
私が60歳で脳梗塞で倒れたのと、夫の仕事がコロナ禍で急速に下降して、生活を維持するのがキツクなったことが要因だ。
漁業が中心の島で、入江がたくさんある。入り組んだ形の島で、小さい島でも、歩くとかなり距離があります。
初めて行ったときには、驚いた。家のすぐ近くの防波堤で釣り糸を垂れると、アジが面白いように釣れた。足元には良い形のチヌ(クロダイ)がゆうゆうと泳いでいた。
散歩に行けば、玉石の浜にはたくさんのウニが転がっている。私は山梨県の生まれで、海なし県。幼い頃は、父に連れられて、お隣の静岡県まで釣りに出掛けた。山梨の友人たちは、生の魚を食べない。煮魚も嫌う人がいた。幸い私は刺身が大好きだ。バーベキューをご馳走になったときには、鉄板に伊勢海老や、鮑が乗せられてまさに、この世の楽園状態だった。
海の色も、見たことがないブルーで美しさに目を奪われた。ずっと島にいたいと思ったが、なかなかその願いは叶わなかった。
まさか、もう一度人生に転機がくるとは想像もしなかった。
でも、すでにあれから40年も過ぎている、浜は埋め立てられてしまったそうです。人口もいまや1800人。
家から20mも行かないところに海がある。望むものは、この海だ。この先ひとりで生きていくことになろうとも、悔いはない。こんな恵まれた環境に移住することになるとは、思わなかった。
そこで生まれ育った夫には、当たり前の風景でも、山の中で生まれ育った私には、この解放的な景色には、胸騒ぎさえ憶えるような透明感だ。
たくさんの忌々しい思い出は、東京の雑踏の中に置いて行く。親友がひとり福岡に移住している。友人は大勢は必要ないし、幼馴染との距離が小さくなったことも嬉しい。
奈留島には江上教会と言う小さな可愛らしい教会があります。観光地と言ったら、江上の教会と、千畳敷と言う太古の岩の海岸線だ。
コンビニはない。スーパーが2軒。それでも1800人が暮らしている。小さな島でも、高等学校があり、ユーミンの歌碑が建っている。経緯はTVで何度も放映されたから、知る人も多いだろう。
美しい風景は、苦しい立場に立ったときに、虚無に変わる。そんなことは百も承知だ。すでに歳を重ねている。無駄な動きはしないと、学習している。虚無さえ美しいと感じそうだ。
フェリーで島に渡るときに、どんな気持ちになるか、まだ想像できないけど、晴れやかな気持ちになれるといいなあ。