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山岳信仰 山形山形飯豊山

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飯豊山は、飯豊山地の2105.1mの山です。 主峰は、通称飯豊本山とも呼ばれることもあります。

652年に知同和尚と役小角が開山したと伝わります。山岳信仰の山で、飯豊山大権を祀ります。

 


江戸時代初頭には、修験道の修験者が訪れ修験の場として栄えました。元禄以降は、庶民信仰に移行して、稲作信仰や、成人儀礼、死者供養などを行っていました。

明治の神仏分離により、飯豊山神社となり、地域住民により崇敬されました。大戦以降は成人通過儀礼として、15歳までに登頂することになっていました。盛んに集団登山「御山駆け」が行われていました。終戦後は女人禁制が解かれました。

 


飯豊山の帰属について、福島県と新潟県により、県境紛争が起こりました。飯豊山は、古くから神体として崇拝され、五穀豊穣を願う信仰登山も盛んに行われていた山。人々にとって特別な存在です。もちろん、福島県側、新潟県側それぞれに言い分があります。飯豊山の山頂には「飯豊山神社奥の院」が鎮座しているのですが、麓宮は一ノ木村(現在の福島県喜多方市)に位置。そのため、奥の院がある飯豊山も一ノ木村の土地であるというのが福島側の主張です。飯豊連峰は越後山脈の北部に連なった山塊であり、古来から越後の山だというのが新潟県側の主張。東蒲原郡が新潟県に編入されたことで、飯豊山神社は実川村(現在の新潟県東蒲原郡阿賀町)の土地に鎮座しており、税金も実川村で納めているとのことです。

 


明治40年8月、やっと県境問題解決に向けて動き出します。飯豊山の帰属をめぐる県境問題は集結。飯豊山を含め三国岳から御西岳の先までが福島県となり、その結果、新潟県・山形県との不思議な県境が誕生しました。

 

 


ピンクで色付けした部分は福島県、その北側が山形県、南側が新潟県。福島県が細く長く延びます。南東麓の福島県側から山頂を経て御西岳に至る登山道付近のみが福島県喜多市になっており、山頂付近は喜多方市です。

 


へその緒、盲腸と呼ばれる登山道がある。狭い所は幅3尺(約90センチ)とされる全長約8キロの道は福島県に帰属。行き着く先は3県をまたいでそびえ、信仰の対象でもある飯豊山(2105メートル)と飯豊山神社。県境マニア垂ぜんの山道は、かつて福島と新潟の間で繰り広げられた“領土争い”の結果です。

 

 

 

 

 

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