azamiの趣味 離島生活

きしべのあざみ この頃の趣味

山岳信仰 恐山

 

 

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恐山は下北半島の中央部に位置する活火山です。

恐山山地は下北半島の北部に位置しますが、霊場恐山とは区別されています。

 

宇曽利山湖の湖畔にある菩提寺は日本3大霊場のひとつです。天台宗の慈覚大師円仁 により9世紀頃に開基されました。

円仁が唐に留学していた時に、夢のお告げを受けました。『汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。地蔵大士一体を刻しその地に仏道を広めよと』言うもので、円仁は霊山を探して、苦労の末に恐山にたどり着きました。中には地獄を表すものが108つあり、すべてが夢の通りでした。

円仁は地蔵大士の木彫を作り、本尊としました。

現在は曹洞宗の寺で、本坊はむつ市田名部の円通寺です。

 

恐山は地蔵信仰を背景に、死者の供養の場として古くから崇敬されてきました。

下北地方では「人は死なばお山さ行ぐ」と言われています。山中の火山による奇観を死後の世界としたことにより、信仰の場として知られるようになりました。


【恐山の不思議】


恐山に行けば死者に会える

 

河原に石を積み上げ供物をし声を上げて泣くと先祖の声を聞くことができる

 

夕刻に河原に小石を積み上げても翌朝には必ず崩れている

 

深夜地蔵尊の錫杖の音がする

 

夜中に雨が降ると堂内の地蔵尊の衣も濡れている

と、不思議な言い伝えが幾つも存在します。


【イタコの口寄せ】

恐山でイタコの口寄せが行われるようになったのは、戦後になってからであり、イタコは常駐していません。八戸や青森から開山期間中に限り来ていて、イタコマチと呼ばれている場所にテントを張り、口寄せを行います。

恐山菩提寺はイタコについて関与していないと言います。

 

私の友人も幼児を亡くし、以来恐山に向かいます。なにか思うところがあってのこと。数々の不思議な体験をしたと言います。

 

【無料の湯】

霊場内には恐山温泉があります。4つの湯小屋は無料(参拝料は必要)で、宿坊にも温泉施設があります。


【幸田露伴の記録】

1892年の紀行文「易心後語」によると、寺の西側はすでに現在と同様、白い岩石が露出する荒涼とした風景だった。露伴は「何と無く不気味なる」「怪異なる此山の景色」であると記しています。

人が集まり、死者を思い、念仏を唱え、賽銭を投げたりしていた光景も詳しく記されています。「血の池」では出産の折に死んだ女性の、「賽の河原」では死んだ子の供養が行われていたこと。また、露伴は境内に湧く温泉も利用していました。

その後5箇所の粗末な浴場が作られました。露岩には、鬼石、剱之山、修羅地獄、大王石といった名前がつけられていたようです。

 

宇曽利湖北岸には硫黄鉱山が設けられ、寺の境内も鉱区に含まれていました。寺の東側に下北鉱山区、地蔵山西側に宇曽利鉱区、東側に八滝鉱山があり、県道周辺には飯場や遊郭もありました。当時、硫黄の産出は軍事機密に直結することから、高い秘匿措置がなされていました。三井鉱山による採掘が行われ、王子製紙の所有に変わりました。恐山街道も、鉱石運搬用道路としてさらに整備が進められ、現在は観光の便に益しています。

 

硫黄原価暴落により、1969年(昭和44年)に閉山されましたが、現在でも山内には鉱山の遺構が存在し、土木工事の痕跡も残っています。火山活動の影響で鉱物資源が豊富に存在していたため、恐山の硫黄鉱山のほか、安部城鉱山、陸奥鉱山、葛沢鉱山、西又鉱山、大揚鉱山、大畑鉱山、青森鉱山、佐井鉱山、千国鉱山、など多数の鉱山がありましたが現在はすべて閉山しました。