不意に昔の友達に会いたくなりました。人生の中で中学生の頃の三年間、高校生になると少し距離が離れました。一緒に星を観た友人で、多感な時期を趣味を同じくし、一晩中星座を探したり、楽しい時代を過ごしました。
コロナウイルスが世界に広がる中、不意に彼女に会いたくなりました。
理由を探るも、とにかく突然すごく懐かしく、連絡を取ろうと試みました。
ネット社会ですから、手を尽くせばなんらかの手がかりはあります。
1日目に他の友人から、引越し先を知りましたが、そこまでです。彼女の友人関係さえ知らない。フルネームでググったら、珍しい名前なので、まだ同じ県内の離れた町の合唱コンクールに出場した名簿にありました。
だけど、そこまでです。まず、地元の合唱団のホームページを探すも、わかりません。
中学生のときの顔しか知らないのに、合唱団のメンバー写真は中高年の写真。きっと幾つかある集合写真のどれかにはいるはずです。
そう言えば、あれから昔のことを随分思い出すようになりました。
なにか、この展開は覚えがあるような。
突き詰めて考えるうちに、ぞくっとしました。
あの頃読んだ本に、星新一さんのショートショート『午後の恐竜』だ。ぜひ読んで下さい。
世界の終わりを書いた作品だったと記憶しています。
走馬灯のように、昔のことが浮かんでは通り過ぎて行くような経験をしているのが、私だけでありますように。世界中の人が過去に活路を見出していたら怖すぎるでしょ。
まだ過去に生きるのは早すぎる気がします。私はイツコちゃん探しをやめました。
小説をポチポチ書いていますが、ペンネームなので、偶然にも彼女が私を見つけることは不可能です。
なぜペンネームにしたのかと言うと、小説を書くと決めた日に遡ります。あまりにひどい、文章にもならない、家族には5年は熱中するからと宣言しました。最初の作品でいきなり賞をいただき、本格的にもの書きを目指すことにはなりませんでした。生活しなければならないので、フルタイムで仕事しながら合間に書いては応募します。
忙しい時代でした。毎日残業で、皆必死でした。本名なんか会社にバレたら大変。
てなわけで、何回か賞も頂きましたが、その都度いい加減なペンネームです。
周囲の数人だけが、なんか書いてるなあ、よくやるよと、斜めから見ていました。
本名だったら多少昔の友とも繋がっていたかも知れません。こうして怪我で早期退職して、暇ができても、体力も思考力も鈍り、豊かな老後にはほど遠く、過ぎた昔を懐かしく思い返す。まだいささか早すぎる気がするのです。
では、この走馬灯のように過ぎた日々を思い出すのは、大地の記憶だというのでしょうか?
みんなが昔を思い出す現象がひそかに起こっていたら怖いなあ。
『午後の恐竜』現象だったら、未知のウイルスの結末は?
まさか……。