azamiの趣味 離島生活

きしべのあざみ この頃の趣味

山岳信仰 山梨県 富士山と短編小説

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【富士山信仰】

富士山信仰は噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として畏れ、噴火を鎮めるために富士山の麓に浅間神社を建立し崇めました。


噴火活動が沈静化する平安時代後期になると富士山は、日本古来の山岳信仰と密教等が習合した「修験道」の道場となりました。


12世紀前半に活躍した修行僧の末代上人(まつだいしょうにん)は、山頂に大日寺を築きました。室町時代後半には、修験者とともに一般庶民も登拝するようになり、戦国時代に現れた長谷川角行(はせがわかくぎょう)が新たな富士山信仰を教義としてまとめたとされています。


江戸時代中期には「富士講」(ふじこう)として関東を中心に大流行し、多くの人々が富士登山や富士五湖等の霊地への巡礼を行うようになりました。


明治になると女性の山頂登山も解禁となり、また鉄道や道路網の発達により多くの登山者が山頂を目指すようになりました。


浅間神社は以前のブログをご覧下さい。

 

【鳳凰三山】

 

駒ヶ岳の南東に連なる山塊。薬師岳(2,780m)・観音岳(2,840.4m)・地蔵ヶ岳(2,764m)の三山を主とします。比較的手軽に登ることができる爽快な縦走コースは花崗岩の砂地に覆われた稜線が続き、白根三山や富士山などの壮麗な景観にことかきません。
また地蔵ヶ岳の山頂には、高さ18mにも及ぶ大石柱が屹立し、その幻想的奇観は古くから岳人に愛され、信仰と伝説の山として知られています。

地蔵ヶ岳の直下には「賽ノ河原(さいのかわら)」と呼ばれる場所があり、花崗岩の白い砂地に多くの地蔵が安置されています。

 

「地蔵を1体背負って下山し、祈念をすると子を授かり、お礼に2体の地蔵を山にお返しすれば、子が健やかに育つ」という言い伝えがあります。


【あざみ短編集】

 

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境界線


家の階段から落ち、したたかに腰を打った。

塀をつたいながら、やっと病院に行き、鎮痛剤を処方してもらった。


家に戻り、ベッドに寝転がったとたんに、ドアを激しくノックされた。返事をしても、ドアは叩き続けられる。


なんとか、体を起こしてドアを開けると、隣りの家の老人が満面の笑みで立っている。

「畑をしまったから食べて」

モロヘイヤの葉を山ほど抱えてていた。老人は耳が聞こえない。畑をしまったとは、畑を休止して、次の作物に備えるらしい。

断る理由も見つからない。受け取らざるをえないのだ。


ベッドに座り、太い茎から葉を1枚ずつ外し、茹でて冷凍保存した。大鍋で湯をかえて、冷水で冷やす作業を1時間も続けた。腰が悲鳴を上げている。


翌朝は更に痛みが増した。

隣りの老人がやって来た。

『奥さん、腰が痛いの?』

とは言うものの、青紫蘇を抱えている。老人がせっかく作ったものだ、ありがたく頂いた。


枝から葉を剥がし、きれいに洗って、キッチンペーパーに2、3枚ずつ並べて冷凍する。

大量に頂いたので、作業を終えるのに、2時間かかった。痛みでうめき声が漏れる。じい様の笑う顔が頭によぎる。


電話が鳴ってる。居留守を決めるしかない。布団を頭から被ったが、すでに10分もなり続けている。なんとか電話まで這って行く。

『奥さん、冷蔵庫が壊れたようだ、冷えないんだよ。ちょっと診てくれない』

耳が遠いのだ。一方的に話し電話が切れた。


夏の暑い日だ、ひとり暮らしでは、さぞかし大変なことだろう。お隣まで、傘を杖代わりに見に行った。コンセントが抜けていた。『これ、持ってって』差し出されたのは、スーパーの袋に山盛り詰め込んだとうもろこしだ。4kg以上ある。


『腰が痛くて』

『ああ、そうかい、これはうまいよ』

差し出された手を引っ込める気はないようだ。

なんとか受け取り、また塀をつたって家に入ってた。


鎮痛剤もなかなか効果がなく、寝返りも打てない。やっと主人が帰宅した。

「なんだって動き回るんだ」

うめき声を上げる私に、夫は呆れていた。

「隣りの爺さんに同情するな、あれはわざとなんだ。知ってるだろ、婆様がなんで亡くなったのか」

 

「わざと?」

「言っても誰も信じないけど、隣りの婆様は、5年前の収穫のときに事故で亡くなったんだ。収穫した山積みの柿をトラクターに積んで、その上に婆様を乗せていたんだ。柿が雪崩落ちて、バランスを崩したトラクターが横転した。上に乗っていた婆様は下敷きになって、亡くなったんだよ」

 

嫁いでまもない頃だった。気の毒な事故。夫婦仲はあまり良いとは言えなかった。耳が遠いおじいさんは、よく大声を出して、おばあちゃんを叱っていた。そんな毎日の中で起こった事故だ。気の毒だと思っても、あの事故が故意などとは思えない。

 

「めったな事を言わないで、考えすぎよ」

あれから半年後、きな臭い匂いに気がついて、外に飛び出した。お隣の換気扇から煙が吹き出している。すぐに消防車を呼んだ。幸いボヤで済んだ。

 

火が消えた頃、自転車に乗ったじいさんが畑から帰ってきた。しきりに集まった周囲の人たちに頭を下げて回っている。小柄な姿をさらに丸めて小さくなっている姿が憐れだ。

「またやりやがったな」

夫の呟きが恐ろしい。

 

そして先週、自転車に乗ったじい様が夫の車に衝突した。路地から飛び出して来たらしい。

じい様は自転車ごとボンネットまで跳ね上がり、路上に倒れた。救急車で運ばれた。足の骨を骨折していた。

 

「事故じゃないよ、わざと突っ込んで来たんだ。前面のナンバープレートが曲がってるだろ。自転車のタイヤが挟まったんだ。ブレーキが間に合わなかったけど、こっちは、ほぼ止まってたんだよ」

「だって、骨折したのよ、自分だって死ぬかも知れない」

「いや、誰もが偶然だと思っても、わざとだ。次はどんな手でくるか」


故意か夫の被害妄想か。じい様は昨日退院した。

 

「みーちゃん、みーちゃん」

向かいの家では、朝からいなくなったネコを探している。

隣りの家の裏庭には、ネコを抱いてぼんやりしているじい様がいる。家の中では、柱に身を隠してじい様を見詰める夫の姿が‥‥‥。

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