金剛證寺
三重県伊勢市・鳥羽市に位置します。標高555m。
正式名称は朝熊ヶ岳。『三国地誌』では「岳」とも記され、伊勢市近辺で「岳」は朝熊山を意味します。
あさま(浅間、朝熊)」の地名は、火山や温泉に関係するとの説もありますが、富士の浅間信仰などとの結びつきも考えられています。この山を「タケ」と言う呼び名は、死者の魂がタケに宿ると考え、その鎮魂のための「タケ参り」が盛んに行われてきました。
南方に連なる「朝熊山地」を含めて「朝熊山」とする場合があり、この場合には志摩市まで跨がることになります。山頂付近に臨済宗の金剛證寺があり、この寺を「朝熊山」と呼ぶこともあります。
この地方の最高峰の朝熊山は古くから山岳信仰の対象となり、825年(天長2年)に空海が真言密教道場として南峯東腹に金剛證寺を建立したとされています。1392年(明徳3年)に鎌倉建長寺5世の東岳文昱(とうがくぶんいく)が金剛證寺の再興に尽力したため、真言宗から臨済宗に改宗しました。
室町時代には神仏習合から伊勢神宮の鬼門にあたる丑寅(北東)に位置する金剛證寺が伊勢信仰と結びつき、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」とされ、入山者が増えました。戦国時代から江戸時代初期には統治権力が及ばない場所でした。
一時は高野山とともに三大霊場と言われ この地方では宗派を問わず 葬儀ののちに朝熊山に登り、金剛證寺奥の院に塔婆を立て供養する岳参りという風習があり、約1万柱の卒塔婆が建立されている様子が見られます。
【家一軒丸ごと整理する】
凄い勢いで整理が進んでいます。
いざ整理を始めると、必要なものはほとんどない現実。あれほど大切だった本たちも、残ったのは10冊以下だったのです。
意外だったのは椎名誠さんの『アドバード』近未来小説として書かれたもので、私はこの世界観に圧倒されました。
読むたびに、設定世界に近づく現実。大きな戦はなかったものの、空を覆う立体の映像などは、もはや時代の方が進んでしまった。
デパートのロボット店員も、もはや現実であるし、作家の心に描いた世界に眩暈がする。長生きはするものだと、かつて、ドキドキ未来社会を夢見た少女は、空を見上げ、もうすぐドローンが飛び交うようになるのだと簡単に思い描ける時代になった。
あとは、ギリシャ神話の古い本、日本昔話、おやおや、古典は残らず処分できました。もう、難しい本は読めないのです。受験生でもあるまいし、読む必要もない。だけど、もっと時間が過ぎると、縁側でのんびり古典や漢文を読む自分が見えます。その時には新たに買えばいい。と言うことで、なんの未練もありません。
古い重たいタンスを桐タンスにしたのは正解。開け閉めも軽いのです。何年も重たい婚礼箪笥を使いました。買えてよかった。
厚い羽毛布団も200円で廃棄しました。今は、真綿の布団。おひさまに丹念に干せば、軽くなり、分厚く膨らみます。まさか、羽毛布団の方を棄てるとは、思わなかった。
だいぶ身軽になって来ました。今日から、書類をシュレッダーにかける作業をします。
今週、メルカリで販売ものにウルトラQのカネゴンの貯金箱があります。これは処分するものに入れた段ボールから救出したのです。
今はソフビなんですね。陶器の貯金箱、磨くときれいになりました。