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山岳信仰 姫神山

 

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姫神山 岩手県盛岡市玉山区

標高1124m

独立峰でピラミッド型をした裾野をひく美しい山が特徴です。山頂には一等三角点があります。日本二百名山の一つです。


【姫神獄神社】

山頂に姫神嶽神社(ひめかみだけじんじゃ)が鎮座し、かつては岩手山、早池峰山(はやちねさん)とともに北奥羽三霊山として山岳信仰の中心になっていました。

祭神 姫大神(姫太神)、須世理姫命(すせりひめのみこと)


岩手県の主な山のうち,岩手山と姫神山,早池峰山は合わせて「岩手三山」と呼ばれています。姫神山は北上川をはさんで岩手山と対峙する名山で、岩手山に標高こそ及びませんが、均整のとれた三角錐の美しい姿が印象的です。姫神山のふもとには山伏の霊場があって,それぞれ神楽が行われてきました。


【姫神山昔話】


昔、岩手山は南部富士と言われるように、男ぶりのよい雄神で姫神山を迎えて夫婦になりました。

姫神山はさほど美しくなかったので、岩手山は姫神山を側室にしたのです。このことを知った姫神山は、くやしくてたまらず激しく怒ったりやきもちをやく日々の連続でした。

あまりにしつこいやきもちに耐えかねた岩手山は「おれの眼のとどかないところに出てゆけ」と言って、ぼんだす(追い出す)ことにして、その送り役をオクリセンという家来にいいつけ、「姫神山をおれの眼のとどかない所に連れて行け。もし命令にそむいたら、お前の首はないものと思え」と激しく申し渡しました。

オクリセンは姫神山に世のはかなさを説いて遠くへ連れて行こうとしましたが、姫神山は身のよりどころのない悲しさを泣訴し、遠くへ行こうとはしませんでした。

オクリセンは板挟みになって困りましたが女の涙に弱いのは男の常なのです。

岩手山の怖さを恐れ、姫神山の哀れさに同情してしまい、岩手山からは北上川をへだてたばかりの所に座らせました。 

 

後は語り部口調で参ります。

 

「次の日の朝ま、岩手山が眼をさましたら、なんと姫神山が眼の前に座っているんじゃネエの。

まだ寝ぼけてるのがと思ってまなぐ(眼)を何度もこすってみたドモ、やはり姫神山なのでどうでん(驚く)したあとは、かんしゃく玉を破裂させたど。

顔を真赤にし口から火を噴き、あたり一面サ煙と焼石を吹き飛ばしたから、たまらながべ。

山は大ゆれし、谷は鳴り、ほんとうに地獄みたいになったド。

岩手山の怒りはそれだけではおさまりきらないで命令にそむいたオクリセンを呼びつけて首を切り落としたんだド。

オクリセンの山のてっぺんが平たいのはそのためで、切られた頭は岩手山に食いつくように飛んでって鞍掛山になったド。ふーむ、方言で書いてあったので、真似してみました。

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【山岳信仰の霊山】


地元八幡平市大更の五百森部落は、その時姫神山が後の形見にと手に持った巻子(へそ)を撒き散らしたものであり、赤い小石の多い赤川はやはり姫神山が形見にお歯黒を流した跡だとして伝わりますが、岩手山が怒って口から火とともに噴き出した焼け石が五百森だとも伝わります。


元々は山頂に「姫大神」を祀り、山麓には「玉東筑波等」を建立し、姫神の本地仏として「十一面観音立像」を安置していました。それが、明治時代の廃仏毀釈により、「玉東筑波寺」から「十一面観音立像」は取り除かれ、名前も「姫神獄神社」に改称されました。


姫神獄神社が山中にあり、参拝が困難だったため、元々は「玉山観音堂」があった跡地である現在の場所に移されたと伝わります。

十一面観音立像は、現在は、近くの「東楽寺」に移されて保管されていますが、痛みがひどいようです。この地域では、「姫神獄神社」が存在した影響で、数多くの「十一面観音像」が存在し、「十一面観音像の聖地」とも呼ばれていたようですが、今では、その面影も無いようです。江戸時代には、山頂に「姫大明神」を祀り、山麓に玉東山筑波寺を建立、本地仏十一面観音を安置して神山と称し、神山から山頂の本宮まで、10ヶ所もの御堂が並ぶ山岳信仰の霊山だったと伝わります。


姫神山は、坂上田村麻呂系の神社で蝦夷征伐の折に坂上田村麻呂が、自身の守護神である「立烏帽子神女(たてえぼしひめ)」を姫神山に祀る事で、この地域の反乱を鎮めたと伝えられています。 


坂上田村麻呂は平安時代時代初めに、鈴鹿山の鬼退治をしました。その時に山中で女神に会いました。女神は自分から田村麻呂の守護神となり、立烏帽子神女と名乗りました。その後、田村麻呂は連戦連勝をします。


ひめかみ山の地名由来は、坂上田村麻呂が、胆沢地方、および志波地方の蝦夷勢力の掃討作戦に勝った時に、神女を岩鷲山の北々東およそ20kmの所にある、美しい山の山頂に祀り、これを「姫ヶ丘」と呼んだという故事にちなんで名付けられたのが、現在の「姫神山」と伝わります。

神仏合祀はまったく、基準もなく、それまでの歴史を解体したような悪政でした。

 

 

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