御嶽信仰の歴史は、平安時代に始まりました。民間信仰と山岳信仰が混在し修験道の場ともなり、栄えてきました。山岳信仰は道者が集団で登拝することで、厳しい修行の場ともなります。1784年に、行者の覚明により、御嶽村の黒沢口が開かれました。一般民衆は1784年に開かれた王滝口から登ります。民衆に解放されたことにより、木曽以外にも、全国から、人がやって来るようになり、
全国的な山岳信仰の場となりました。明治の神仏分離にともない、仏教関連は姿をけしました。元々御嶽山そのものに対する信仰です。
宗派を問わず訪れています。
御嶽神社祭神
御利益は智恵・才能を授け、長寿を護り、病難を癒します。禁厭を司る霊妙神として祀られています。
御嶽信仰の特徴は、信者は死後霊魂は童子となり、御山に引き取って貰えることになると約束されているそうです。信心することで霊魂の安寧の場が得られると一般に信仰心が浸透して行きました。それが霊魂碑を建立する風習になります。
御嶽教は信者が5万人ほどの古来からある山岳信仰、民間信仰の団体です。教祖を持たず、選挙で館長を選出します。神道十三派と言われる神道の宗派の一つで、下山応助によって19世紀の後半に創設されました。もともとは仏教の修験道から派生した宗派ではあるものの、仏教色は薄く、祭祀などは神道に準じたものが多くなっています。教義は、人間の霊魂は聖なる山である御嶽山から生を受けてこの世に誕生するが、死後には再び御嶽山の神のもとに帰るという伝統的な御嶽信仰に基づいており、御嶽大神を祀り、真心をもって奉仕することを旨としています。
【神道13派について】
神社神道と対比され、神社神道が日本各地の様々な神社・慣習的信仰の集合体であるのに対して、教派神道は大教院の理念を引き継ぎ、綜合的な性格が強いため、中心的機関・教団である神道本局(神道大教)をはじめとして、祭神には原初神である天之御中主神から始まり、全ての神々(神祇)を祭るという姿勢の教団が多いようです。、明治時代に神道を宣教する教派として段階的に公認されていった総計14の神道系教団のことを指します。宗派神道とも呼ばれます。途中で1教派(伊勢神宮系の神宮教)が離脱し、最終的に出揃ったのは13教派であることから神道13派と言われています。
1908年の天理教の独立認可以降、1945年の宗教団体法の廃止まで約40年の間、神道大教、黒住教、神道修成派、出雲大社教、枎桑教、實行教、神道大成教、神習教、御嶽教、神理教、禊教、金光教、天理教があります。
【調べれば調べるほどに】
まったく知りませんでした。教派神道と神社神道があるのですね。神道系新宗教として区別する場合もあるそうです。このときは天理教、金光教などは教派神道から省かれ神道系新宗教に分類されています。
教派神道の始まりは明治時代の神仏分離です。神道と仏教をしっかり区別し、教義や信者数を持つ神道を指定する必要が出てきました。そこで、一定の条件を満たした14の教派を、明治政府が公認しました。
国家神道は、国家によって積極的に日本人に広められた思想です。そして、その中心には天皇一家がありました。一方、教派神道は、元々根付いていた思想であり、必ずしも天皇を中心に据えているわけではありません。
「教派神道」は、それぞれの歴史は深いものの成立は新しいので新宗教と呼ばれることが多いのも特徴です。奈良県の天理市の名前の由来となった天理教や教会数の多い金光教、信者の多い大本などは馴染みが深いかもしれません。教派神道は、明治政府の政策をきっかけとして生まれたものの、戦後も、戦争との関係が薄く国民に浸透していることから解体を免れた点も、国家神道とは異なります。ただ、現代において、日本人の大半は無宗教ではないかと思われます。