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山岳信仰 吉野山金峯山寺

 

 

【金峯寺】

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金峯山寺は奈良の吉野山の山頂付近にあり、古代信仰を代表する寺院です。境内にある本堂や仁王門は美しい木造建築物で、世界遺産に登録されています。


金峯山寺がある一帯は、修験道の聖域とされています。

修験道は日本古来の山岳信仰に神道や仏教などが融合してできた日本独自の宗教です。


大峰山山上ヶ岳で修行されていた役行者が、衆生救済を祈願して仏の出現を念じていたところ、釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩が相次いで現われます。悪魔を降伏し、強い力で導いてくださるお姿を求めてさらに念じ続けていると、憤怒の相もすさまじい蔵王権現が、岩を割って出て来たとされています。


権現の「権」というのは「仮」という意味だそうで、仏が神の姿を借りて現れたことを意味しているのだとか、つまり、神と仏の融合したお姿です、役行者が修行により、出現されたと伝わります。


役行者はそのお姿を山桜の木に刻まれ、山上本堂(今の大峯山寺)と山下本堂(今の金峯山寺)に祀りました。


以来1300年間、神や仏を分け隔てなく尊んできたのが修験道なのです。


本堂とならび、2階建ての仁王門(におうもん)も国宝に指定されています。門の左右に立つ高さ5メートルの金剛力士像は日本で2番目の大きさです。


この建築こそが、同じく古くから信仰を集めた和歌山県・熊野を結ぶ巡礼ルートのためのつくりだとされています。


熊野(南)から吉野(北)へ向かう際は本堂、吉野(北)から熊野(南)へ向かう際は仁王門が、それぞれ正面で巡礼者を迎えられるように配慮された造りと言われています。


参道の入り口に日本の神社でよく見られる鳥居があり、神道、仏教と修験道とが融合している様を見ることができます。明治時代に政府の政策で神道と仏教が分離される以前は、このように宗教が入り混じることは珍しくありませんでした。


神仏分離、神仏合祀は日本の信仰に大きな衝撃と混乱を与えました。


神仏分離により、寺院は廃寺になるか、神社に変更し生き延びるほかなかったのです。吉野山の僧坊吉水院は吉水神社になりました。


1872年には修験道廃止令が出されて、金峰山自体も1874年に廃寺になりました。1886年に天台宗修験派として、再興されました。しかし、山上の蔵王堂は大峯山として、金峯山寺とは分離されました。


【吉野山】

桜の名所吉野山は大峰山から、熊野三山に続く山岳霊場、修験道の大峯奥駈道の北端にあたります。

役小角が開いたとされる大峯奥駈道は、南端の熊野を発して吉野に至るのを順峯といい、北端の吉野から熊野に至るのを逆峯と呼びます。途中には神仏が宿るとされる拝所・行場が設けられ、これらは靡(なびき)、古くは宿と呼ばれ、多い時は120宿があったというが、近世に75の靡となりました。吉野山は6つの靡の範囲となっています。


吉野山には十数軒の旅館、民宿そして宿坊もあります。中には、温泉を有する宿もあり、花見客や修験道の山伏などが多く利用しています。


天川村では、寺院僧侶が袈裟を着て法螺貝を吹き、説法を解いて案内する先達と、「嶺霧露会(ねむろかい)」という山案内兼剛力としての山先達がいます。先達の後につき、修験道を体験するコースが今も人気です。

 

 

 

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