azamiの趣味 離島生活

きしべのあざみ この頃の趣味

快晴です 昔のお話でもしましょか。

青空です。日差しは暖かいけど、冷たい風が吹いてます。

今日は病院通い初め。歯の治療もなぜか1年半になります。ゆっくりですが、そろそろ終わりそうです。

 

今月は税金の申告書に取り掛かるので、もしかしたら、ブログがおろそかになりそうです。たまに長期の休みに入るかも知れません。

 

離島引越しの準備で、家電やガス台など、買い揃えました。これから、カーペットを探します。引越しの旅費を計算して、あー交通費だけでも大変です。果たして、生活できるかしら。

 

でも、誰も心配していないのが自信に繋がっています。『あなたなら大丈夫よ、いきなり楽しく遊ぶわよ』って、まあひとりで、爆発的に楽しく過ごす自信はあるけど。

 

若い頃には驚くような挫折も味わいましたが、挫折すら、感動的というか。あれは、理不尽な理由で勘当された年の、大晦日の晩のこと。

 

全財産の七万円を財布に入れて、家を飛び出しました。服も着たきり、何も持たずに横浜まで電車に乗って、喫茶店で夜を明かしている時に、ウエイトレスに閉店を告げられて、困り果てていると、彼女が事情を聞いてくれました。その子が保証人になってくれて、アパートを借りて、寿司屋のアルバイトを紹介してくれました。彼女も家出してきて、誰かに助けられたと話してくれました。

 

あの年の大晦日に、寿司屋のアルバイトをしていて、深夜にタクシーで帰宅。家賃二万円の、ひとり暮らしのアパートを開けると、知らない男が大の字で部屋の真ん中に倒れていたの。知り合いも誰もいない知らない土地で行くところもない。アパートには荷物がなく、広々とした部屋でした。足でつつくと、寝息を立て始めたので、生存は確認しました。もしかしたら、誰か部屋を間違えて入り込んだのかも。

 

仕方がないので、駅に戻り、タクシーに乗って、バイト先の寿司屋の夫婦の団地を訪ねました。深夜1時を過ぎています。大晦日の珍客に、奥さんが驚いた顔で、出て来てくれました。寿司屋は正月がかきいれどき、とにかく、泊めてくれて、説教されました。正月に町を彷徨う羽目にならなくて済みました。ひどく叱られ、運が悪いんだと、心底へこたれました。これもまた理不尽なこと。

 

二、三日したら、隣りの住人が洗剤を片手に謝りに来ました。やはり部屋を間違えしまったそうで、鍵を入れたら開いたのだとか。不動産屋の方もお詫びに来て、鍵を換えてくれましたが、何故か、寿司屋の夫婦は嘘だの一点張りで、お客様が来るたびに笑い話にしたてて、からかっていました。

 

『で、引越しはいつなの?』

後から荷物が来ると、ごまかしたものの、そんな奇跡は起こらず、寒いのに、薄いコートが一枚。安い布団を一組と鍋と米をその日のうちに買ったけど、荷物なんか来ないのです。

 

それから二日後には、寿司の配達先で、車上荒らしに合い、免許証と財布を盗まれたの。旦那はかんかんに怒りましたよ。掻き入れ時に、配達に出られない。泣きながらお給料を前借りして、なんとか凌ぎましたが、次の給料までは、どんなに叱られても、辞めるにやめられない。

 

アパートを借りてしまったので、すでに一万円札もない。親は相変わらず怒っていて、電話は叩き切られるし。理不尽である。中国ドラマを観ていると、よく『天意』と言うセリフが出て来ますが、まさに、私はそれほど悪いことをしているのか、自問自答の毎日。あの年はずっとそんな理不尽なことばかり続きました。 

 

あれから早いもので、三十年以上が過ぎました。どんなに考えても、七年も勘当されるような悪いことなどしていないし、親は相変わらず、早合点の誤解ばかり。あの若かりし日のどん底振りはいったいなんだったんだろう。

 

勘当を言い渡された時に、逆ギレして、『それでいいんだね、もう、後から謝っても二度と戻らないよ』と、家を飛び出しました。私は家に帰りはしても、未だに泊まったことがありません。父親の葬儀も終電でアパートに帰り、始発で実家に行きました。理由が分からない限り、謝る言葉も見つかりません。

 

正月になるとあの苦い日々を思い出します。勘当された理由はよく分からないから、多分誤解か、兄貴の誰かが私を出しになんらかの嘘をついたのだ。この謎は生涯解けそうにありません。不思議なこともあるものだ。

 

私はそれから、物書きをするようになりました。昼間はフルタイムで働き、夜から明け方まで文章を書いていました。文章力が足りずに意味不明な小説をひとりせっせと書いては、投稿していました。本をたくさん読み、すべて独学で、パソコンを学び、中古のパソコンを手に入れました。

 

今の夫がときどき食事に誘ってくれて、美味しい物にたくさんありつけました。自分のことながら、不思議なくらい、運が悪く、不思議なくらい明るく楽しくやっていたのです。天国の母は、今でも『不良』と言うレッテルを貼り付けたままかしら。あれ以来、それより悪いことは起こらない。あったとしても、悲惨さはあの年が一番のどん底だったようです。

 

夫はそれほど悲惨な時代だとは知らないのです。教える必要もないですしね。

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
にほんブログ村