日本に2300社あると言われています。
伊邪那岐命 は、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命 を追い求め、黄泉の国に行きますが、妻を連れて戻ってくるという望みを達することができず、ケガレを受けてしまいます。そのケガレを清めるために海に入って禊祓いしたとき、住吉大神である底筒男命 (そこつつのおのみこと) 、中筒男命 (なかつつのおのみこと) 、表筒男命 (うわつつのおのみこと) が生まれました。
【住吉神社本社】
住吉大社の祭神は、伊弉諾尊が禊祓を行われた際に海中より出現された底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神と神功皇后を祭神とします。
御利益 禊祓・産業・貿易・外交の祖神と仰がれています。
神功皇后は、住吉大神の加護を得て強大な新羅を平定し、無事帰還を果たします。この凱旋の途中、住吉大神の神託によって現在の住吉の地に鎮斎されました。のちに、神功皇后も併せ祀られ、住吉四社大明神として称えられました。
延喜の制では名神大社、二十二社の一社、摂津国一之宮、貨幣大社。
住吉大神が草を敷かずに苗代をつくる方法を教えたという伝説が残っています。また、神功皇后が長門国(現在の山口県)から植女 (うえめ) を呼び、御田を作り五穀豊穣を祈られたといわれています。
また神道でもっとも大事な「祓(はらえ)」を司る神です。住吉大社の夏祭り「住吉祭」が単に「おはらい」と呼ばれ、大阪はもとより摂津国・河内国・和泉国ひいては日本中をお祓いする意義があるほど、古くより「祓の神」として篤い崇敬を受けてきました。
調べてみると、本当に何もしらずに拝んでいたのですね。神道は日本の国ができた時から系統立てて説明できるほど深く関わっているのです。
山口県下関市一の宮住吉にある神社。住吉三社のひとつです。九間流造の本殿は国宝に指定されています。
祭神 住吉三神(表筒男命・中筒男命・底筒男命) 、応神天皇 、武内宿禰命 、神功皇后 、建御名方命。
大内家、毛利家、歴代の大名にも崇拝されたとされています。
同じ住吉でも、魂の二つの現れがあり、魂もまたそれぞれに祀られ、大社は和霊(にぎたま)、対し、長門国一宮は荒魂(あらみたま)が祀られています。
荒魂と和魂とは、神の霊魂が持つ二つの側面のこと。荒魂はときに災いを起こし疫病などを蔓延させたりします。和魂は神の慈愛に満ちた優しい側面、同一の神の側面です。神の御魂の二面性が、神道の信仰の源となっているのです。荒魂は新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂(あらたま、あらみたま)とも通じるとされています。
和魂はさらに幸魂(さきたま、さきみたま、さちみたま)と奇魂(くしたま、くしみたま)に分けられます。ああややこしや。
幸魂は運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働きである。
奇魂は奇跡によって直接人に幸を与える働きであり、知識才略、学問、技術を表す。
幸魂は「豊」、奇魂は「櫛」と表され、神名や神社名に用いられる。
つまり、神様によって御利益も異なり、呼び名によって側面が分かります。
ただし、これは、人の魂は天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂(荒魂・和魂・幸魂・奇魂)から成り立つという一霊四魂説といいます。明治以前の文献には一切登場せず、日本古来の霊魂観ではないとされています。
神道をかじる上ではざっくり理解すれば良しですね。で、長門国一宮は荒魂(あらみたま)が祀られています。
【住吉神社 東京】
東京都中央区佃
祭神 底筒男命、中筒男命、表筒男命、息長足姫命(おきながたしらひめのみこと)、東照御親命(あずまてるみやおやのみこと)。
徳川家康の一行を佃村、大和田村でもてなしたことが縁になり、江戸城に移るときに、佃村と大和田村の漁夫33人と住吉神社の神主平岡権大夫好次も江戸に来ました。佃嶋の築島者たちが、息長足姫命と東照御親命(徳川家康の霊)の分霊を奉遷し、住吉三神とともに祀るべく、住吉神社を創建したのが始まりです。天保三年。
【練馬区散歩】
今日は朝から曇り空です。それでも散歩に出ましたが、目白通りに出たところで雨がぽつぽつ、あと200mの須賀神社手前で断念引き返しました。
夫婦でやっている居酒屋絆さん。ランチのお弁当を買いました。メニューにタコスがあります。
店内では刺身定食を頂くことが多いかななあ。
次回はまた散歩に行けますように。