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恵比寿神社 えびす神社 戎神社

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西宮神社

 


兵庫県西宮市

日本に約3500社ある、えびす神社の総本社です。

祭神 えびす大神、天照大御神大国主命須佐之男大神

 


西宮神社の祭神は、記紀神話の葦の舟で流された伊弉諾、伊奘冉の子で、社伝によると、蛭児命は西宮に漂着し、「夷三郎殿」と称されて海を司る神として祀られたとされています。

 


人形繰りの芸能集団「傀儡師」が境内の北隣に居住しており、全国を巡回し、えびす神の人形繰りを行って神徳を説いたことにより、えびす信仰が全国に広まったようです。

 


〈えびす信仰について〉

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戎信仰については、えびすを蛭子と同一視する説の他にもいくつかの説があります。

たくさんの表記があり、えびす信仰として、くくってみました。

 


えびす様は、七福神の一柱の神様で、右手に釣竿を持ち、左脇に鯛を抱えています。外来の神、客神、門客神とされています。漁業の神様として、信仰される他、漂着神、寄り神信仰とも言われています。

 


さらには商いの神ともされています。表記は、夷、戎、胡、蛭子、蝦夷、恵比須、恵比寿、恵美須などもあり、えびっさん、えべっさん、おべっさんなどとも呼ばれています。

 


えびすという神様は複数あり、伊弉諾、伊奘冉の子供の蛭子命、または大国主命の子で、事代主神(ことしろぬしのかみ)ともされています。また少彦名神彦火火出見尊としているところもあります。戎、夷は異邦人を意味していて、外から来られた神様としています。えびすを祀る神社では、祭神が異なります。そのあたりに目を向けてみても御利益の違いがあります。

 


えびす購は、10月20日か11月20日に催されます。10日えびすとして、1月10日や15日に行うこともあります。

 


【東京恵比寿の恵比寿神社

 


東京都渋谷区恵比寿

 


"大昔の頃より天津神社と称してかないあん家内安全無病息災五穀豊穣の神々として広く住民に崇め祭られて参りました。戦後区画整理により記念事業として現在地に社殿を新築致しこれを景気に商売繁昌縁結びの神、事代主神(エビス様)を合祀し社名を恵比寿神社と改めました"

神社立て札より

 


祭神 国常立命・国常立神

豊雲野神意富斗能地神伊耶那岐命伊邪那美命事代主命(えびす様)

 


天津神社では事代主命を除く六柱が御祭神で、大六天(だいろくてん)、大六様(だいろくさま)、と呼ばれ、親しまれていたと伝えられています。その後恵比寿の地に移転した際に事代主(エビス様)を合祀し御祭神は7柱となりました。

 


恵比寿神社

 


恵比寿ガーデンプレイスにある札幌ビール本社敷地内にあります。

恵比寿駅から歩いて10分程度です。

 


サッポロビール株式会社が本社移転した際に商売繁盛の上エビス様を工場の敷地内にお祀りしたことが始まりです。無人ですので、御朱印御朱印帳の販売はありません。

 


今宮戎神社

大阪市浪速区恵美須

 


西暦600年推古天皇の御代に聖徳太子四天王寺を建立に当り、同地西方の守護神として鎮齋せられ、市場鎮護の神として尊崇せられたとされています。

 


祭神 天照皇大神事代主命(戎さん)・外三神

 


海・里・野の諸産物が物々交換される「市」が開かれ、その市の守り神としてもこの戎さんが祀られていたそうです。その後、福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神として信仰されています。

 


〈十日恵比須神社

福岡市博多区東公園

 


出雲大社から分霊

事代主大神

大黒様

御利益 福の神 縁結び

 


香椎宮社家の武内平十郎(後隠居して五右衛門と称す)が博多に分家し、神屋と号して商売を営んだ。此の者天正十九年(一五九一年)正月三日、年始に当り香椎なる父の家に至り、香椎宮筥崎宮への参詣の帰途、浜辺潮先に於て、恵比須大神の尊像を拾い上げたる地に御社を建て氏の神と家運大いに栄えたと云う」とあります。

 


武内文書「十日恵比須神社記録写」には「香椎から箱崎に参拝途中の潮先で、恵比須二対を拾い上げて、持ち帰って奉斎した」「毎年正月十日恵比須ととなえて、自身でお供えして拾い上げたところで御神酒をささげた。

 


【練馬散歩】

この付近には須賀神社が3社あります。社名は、日本神話において、スサノオが八岐大蛇を退治してクシナダヒメを妻とした後、出雲国須賀に至って「吾此地に来て、我が御心すがすがし」と言ってそこに宮を作ったことに由来するものである。須賀神社の多くは、明治の神仏分離まで「牛頭天王社」などと称していました。

 

須賀神社

さて、どちらに行こう!

中村橋駅から目白通りに出て、ちょうど正午なので、回転寿司でランチタイム。

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軽くつまんだところで、交差点を渡りすぐ近くでした。1㎞は歩きたいところですが、今日はここだけにします。歩きにくいすり減った石段を、なんとか登と小さなお社がありました。

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この神社の一帯は、縄文時代前期の遺跡の包蔵地として知られており、『東京都遺跡地図』には「練馬区No.95遺跡」として登録されています。実はこの神社の境内には、人為的に盛られたのではないかと考えられる塚が存在するらしいのですが、社殿の背後にマウンド状に盛り上がっている塚状の地形が存在するそうです。

なぜこの付近に須賀神社が点在するのかはまだわかりません。3箇所巡ってから、調べてみます。

 

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