azamiの趣味 離島生活

きしべのあざみ この頃の趣味

生きる力と魔法の歌

おはようございます。今日はちょっと真面目なお話。周囲に人を惹きつける不思議な魅力を持った人はいませんか?

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四柱推命という占いは、ネット上でも、生年月日を入れるだけで鑑定できます。中国四千年の歴史の中で生み出された統計学だそうです。

 

四柱推命の特徴といえば、その的中率の高さ。四柱推命は陰陽五行と干支をもとに、緻密な計算によって導き出します。空想で描いたものではなく、統計をもとに導き出されたものだからこそ的中しやすいらしい。占いという面だけではなく、統計学という側面も持ち合わせているのが面白い。

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四柱推命を深く学んだ訳ではありませんが、この中に強く運命の影響を受ける人と、そうではない人をそれぞれ10のポイントで分けると言う分かりやすいものが有ります。100人くらい、年表に従って調べているうちに、だいたい見ただけで、少し話しただけで見当がつくようになりました。

 

 

とても美しく、芯がしっかりした友人が二人いました。彼女たちは、子供の頃から愛らしく、人気もの。しかし、よくよくお付き合いしてみると、マイナス思考の持ち主だと分かった。私にしては、大した事じゃない事に悩み、囚われていた。人に悟られないように、常に明るく振る舞っていて、周囲はその底知れない闇にはまったく気が付かないでいました。

 

例えば、二人の男性に求愛されて、悩み抜いても答えが出せず、二人とも失ってしまう。私はそんなもったいない話を聞かされるばかりだ。

 

彼女達の四柱推命を観た事があり、当然強い星の生まれだと思っていましたが、弱い方の生まれ、影響されやすいのです。なるほどなあ、優し過ぎる、与えてばかりいる、いつも中心に居るように見えていたけど、孤独感はハンパない。ふーんと思い、軽く四柱推命を説明した。

 

確か、落とし穴にはまらないために観るとか、嫌なことは、予め覚悟してやり過ごすように準備しておくために観るんだと言った。

彼女たちはいつまでも占いにこだわり、運が悪いのは占いのせい、あなたが弱いと言ったからなどと、絡んで来る。これには辟易した。

 

ちなみに私は、強すぎて身を滅ぼすようなことが書いてあった。二人はそれを見て笑い、分かる、分かると言っていた。人のことには意外におおらかだとも感じた。でも、所詮は占い、的中率がいいとはいえ、全ての人に当てはまるわけがない。

 

私は占いを面白いとは思うけど、信じてはいない。でも、六十年生きて思うことは、彼女たちは、占いや宗教に染まりやすく、その都度呼び出されて、私への説得に乗り出した。宗教への入信を勧めたり、あきらかなネズミ講の集会に呼ばれたりした。私は、いいかげんにしないと、身を滅ぼすと諫めていた。

 

それから30年ばかりは互いの人生に関わっていなかった。高校を卒業してから、30回目だという記念式典付きの同窓会に初めて出席した。彼女たちそれぞれに再会した。その時に、昔占った四柱推命の話題になり、人生うまく行かないとこぼしていた。

 

占いなんて、当たるも八卦外れるも八卦だと慰めた。彼女たちは私から見たら成功者だ。会社の役員をしたり、チェーン店のオーナーだった。この立派な二人を私が慰めるという構図におかしさが込み上げた。

 

もし、あなたたちが私のような人生を歩んだら、とっくにこの世界にいないと思った。あなたたちの人生は概ね順風満帆じゃないか。

 

ちなみにあれから十年以上過ぎた。二人とも、今は亡き人になってしまった。二人とも独身のままだった。人生を自分で捨てた。これも運命と受け止めるか、なぜ死に急いだか。

 

占いより、自分の意思を大切にした方がいい。人のせいにして逃れない。自分を中心に物を考える。 違う? そう言えば、母はよく鼻歌で

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When I was just a little girl
I asked my mother
What will I be
Will I be pretty
Will I be rich
Here's what she said to me

ケサラセラを歌っていた。

 

私がまだ少女だった頃
母に尋ねたの
私は何になるのって
可愛くなれるかな
お金持ちになれるかなって
母はこう言ったわ

 

90歳を過ぎた母の妹も、同じ歌を口ずさんでいたのには驚いた。

 

Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be

ケ・セラ・セラ
なるようになるわ
未来は誰にも分からないけど
ケ・セラ・セラ
なるようになるわ

ケ・セラ・セラ/Que Sera, Sera)は、1956年のアメリカ映画『知りすぎていた男(The Man Who Knew Too Much)』において、女優・歌手のドリス・デイ(Doris Day/1924-)が歌った主題歌です。私もこの歌詞が好き。

 

とても楽になれるんです。私にとっては魔法の歌です。

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